世界ランク1位アルゼンチン対世界ランク2位のスペインとのサッカーW杯頂上決戦
過去に決勝トーナメントで1勝もできない(予選リーグで力尽きる)日本チームは2026年サッカーワールドカップでは優勝を目指していると喧伝していたが、マリーシアを連発する昨日のアルゼンチン対スペインの試合観戦の感想からは夢のまた夢。マリーシアが一切ないJリーグの日本のサッカーと世界基準マリーシア炸裂(相手選手のユニホームを引っ張る程度は序の口で羽交い絞めや押し倒し、突き飛ばしなど球技よりほぼ格闘技)のサッカーワールドカップとは別世界だった。
マリーシアは元々はポルトガル語で『ずる賢さ』を表す単語で、主にサッカー界で使われるが意味するところは、『審判にバレない反則は反則とは呼ばない。それは高等技術と呼ぶ。』で、ネガティブな意味で使われることは少なく、一流選手の証が『如何にマリーシアを行えるか』なのです。
これはサッカー用語マリーシアとまったく無関係。イギリス東インド会社旗の左上カントン部分のユニオンジャックをイスラム教の象徴である三日月と星に変えただけのマレーシア国旗
マリーシアを理解出来ない人々 2010/02/23 09:22:17 カテゴリー:スポーツ・文化
『茶髪禁止令』
日本水泳連盟は20日、都内で開いた理事会で、「茶髪、ピアス、華美なネイルは禁止」などとする競泳日本代表選手の行動規範を、飛び込み、水球、シンクロナイズド・スイミング、オープンウオーターの各代表選手に対しても適用することを決めた。4月から順守を求める。同連盟の泉正文専務理事は「競泳選手のために行動規範をまとめたが、同じ日本代表ならすべて適用しようという意見でまとまった」と説明した。
朝日新聞2010年2月21日
『丸刈りは美しい』らしい。
そのうちには冗談抜きで、日本を代表してオリンピックに参加する日本選手たちには男女ともに丸刈りを強制してもらう話に成りかねない。
今を先立つ10年前に早々と何とも時代錯誤のいかがわしい『品格騒動』(イジメ)を引き起こし、日本のスポーツ界として初めて選手(千葉すず)にスポーツ裁判所に提訴された日本水泳連盟が、今回は朝青龍や国母選手の品格騒動に便乗して『極めつけ』をやってくれたようです。
『国母選手と日本スキー連盟』
『行儀が悪い』を理由に国母選手の大会出場を阻もうとするなど『千葉すずの悲劇』の時と同じ前近代的な精神主義と権威主義を、日本のスポーツ界は何時まで続ける心算なのだろうか。
10年前のシドニーオリンピックで日本の女子自由形第一人者である千葉すず選手のマスコミでの発言が気に入らなかった日本水連は代表選考会で選考基準をクリアして優勝したにもかかわらず日本代表に選ばなかった事件を思い出される不愉快な事件です。
それぞれの選手の言動を批判することは一向に構わない。
大いに批判はやるべきですが、しかし言動(品格や行儀作法)を理由にして競技に参加させないなどは、競技団体としての存在理由そのものを問われている。
競技団体とは、選手が試合で実力を発揮できるようにサポートすることが本来の役目ですよ。
ところが一番成績の良い朝青龍や千葉すずでは試合に出ることを競技団体が阻止したのです。
今回も日本スキー連盟が国母選手の品格を理由に試合出場を妨害し、強制帰国(本国召還)させ様としていたのです。
こんな選手の試合参加を阻む競技団体は、そもそもの存在理由が有りません。
日本のためにも個々の選手の為にも即刻解散して組織に巣くう頑迷固陋なアナクロリズムの長老たちを追放して根本から改革するべきです。
『美や品格は個人の主観(内心)』
『美しい』とか『品格がある』とかには科学的な客観的基準が有るわけではなく主観の問題なので、自民党の安倍晋三首相の『美しい国』が(客観的で有るはずの)政治的スローガンであるよりも宗教的な意味合いがあり、何とも奇怪で胡散臭い。
我々一般市民にとっては意味不明、理解不能なのですが、今回の国母選手の『見苦しい』(美しくない)『品格』といくらかは関連してくる。
あの格好は『プロ』のスノボ選手の国母和宏にとっては『服装の乱れ』どころか『正装』らしいのですよ。
個人によって美とか品格の基準が違い、他人と同じ格好をするほうがスノーボーダーにとっては『恥ずかしい行為である』に変化する。
これは東京オリンピックの時、他国の選手団に比べて最大人数の日本選手団がほかの国が誰も真似できない一糸乱れぬ分列行進をして(おまけに)しかもファシスト党のムッソリーニそっくりの片手を高々と挙げる敬礼(挨拶)をして外国人たちの顰蹙をかったことがあるが、あれと全く同じで基準となる『美』や『品格』(内心)が根本的に違う。
同じ完璧な分列行進を美しいと見るか恐ろしい(醜い)と見るかは、見られる側の問題以前に、『見る側の主観』(内心)の問題なのです。
外国人でなくとも、同じ日本人でも高校野球の甲子園の開会式の入場行進を、『美しい』と思う人が沢山いる。
ところが私のように正反対に神宮外苑の学徒動員の映像を思い出して不愉快で『見苦しい』と思う人もいる。
基準が其々違うから『個性』であり、『違うから悪い』にはならず、『違うことは良いこと』であり『存在理由が有る』とも考えられる。
イヤホーンで音楽を聴きながら演技するのが当たり前のスノーボードの世界で、しかも団体競技なら集団との調和は大事かもしれませんが個人競技の世界大会で勝つため秘訣は『誰にもない、その人独自の個性』や『創意工夫』であり、周りと違う『独創性』ですが、全日本スキー連盟(SAJ)や日本オリンピック委員会(JOC)は大相撲と同じ伝統芸能の様式美を追及する心算の様です。
個人の主観に過ぎない『品格』とか『美意識』とかが『普遍的な価値観』で有るとでも勘違いしているのでしょうか。
『主観、客観の意味するものは』
主観については、『何が美しいか。?』『何が品格となるか。?』などはそれぞれの個人個人や、個人の集合体としての集団により異なっており、個人の主観(内心)にすぎない。
美しさや品格に夫々違いが有り、その『違い』を尊重することが民主主義の基本で、今回の国母騒動や朝青龍騒動のような多数決原理だけなら民主主義ではなく全体主義(ファシズム)になる。
何故なら個人の『内心』とは聖域であり、『何人たりとも犯されない権利が有る』とするのが民主主義の根幹である基本的人権の根本的な考え方です。
客観については、
我々一般の市民でも、政治や軍事、経済などでは自分(個人)が如何思うか(内心)など、観念的な問題はどれ程の意味もない。
この場合には、『事実は如何であるか』等の唯物的な問題だけが問題となる。
軍事では田母神のように(自分は)『如何解釈できるか』は何の意味も無いのですが、可哀想に彼には主観と客観の区別がついていないのです。
『軍事』では正しい現状認識が全てに優先されるのです。
正しい現実認識が出来なければ命が無くなるという意味では登山なんかもこれに当てはまる。
自分(あるいは他の誰か)が何を思うかではなく、『現実の事実は如何なっているのか』だけが意味がある問題も世の中には多くある。
政治、経済、軍事、外交、科学などはこれに当てはなるでしょう。
軍事や経済など政治問題では科学的事実から離れた内心の自由はそもそも存在しない。
『マリーシア』
旧軍の話ですが、彼等は悪いことでも戦闘(戦争)に利用できそうなことは何でも奨励していたのです。
勝負の結果(勝ち)だけに関心があり、それ以外(品格?)なんかは何の価値観も見いだしていなかった。
例えば軍隊内の泥棒は見つからなければ良い事として奨励されていて、厳しく罰せられたのは被害者の方だったのです。
しかし、周りの他の兵士から盗めばその結果がどうなるかが判っているので私の父は盗まなかった(自分の主義が邪魔して盗めなかった)。結果、毎度毎度凄まじい凄惨な制裁が行われることになる。
スポーツ用語のマリーシアとは、
元々はポルトガル語で『ずる賢さ』を表す単語で、主にサッカー界で使われるが意味するところは、『審判にバレない反則は反則とは呼ばない。それは高等技術と呼ぶ。』で、ネガティブな意味で使われることは少なく、一流選手の証が『如何にマリーシアを行えるか』なのですが、
今の日本のサッカーが日韓共催のワールドカップ以外には一勝も出来ない原因も多分マリーシアを行う技量がないからでしょう。
そして旧軍はマリーシアのオンパレードだったのです。
勝つためには何でも有りで許されるが、其の反対に正直に規則を守って負ければ厳しい制裁がまっている。
マリーシアの意味の『反則ぎりぎり』どころか、『反則そのもの』までも奨励していたのです。
軍隊内での銃剣術の稽古では敗者には理由のいかんを問わず苛酷な制裁が課せられる。
旧軍のこの体質を知り抜いていた私の父親は『はじめ』の号令がかかる前に攻撃して油断している(規則を守っている)相手に連戦連勝する。
何しろ亀田の弟ばりに銃剣術の規則にない投げ技や足技や拳闘など反則なら『何でも有り』。これを叱るどころか上官は『敢闘精神が有る』として褒め称えていた。
日本のやった戦争は日清戦争でも日露戦争でも対中戦争でも対米戦争でも全てが(マリーシア的な)宣戦布告前の奇襲攻撃で始まっています。
『勝敗を争う競技(スポーツ)の価値観は「強さ」以外にはない』
大相撲の横綱の品格など、元々横綱には品格が有るのではなく(強い横綱に対して)周りがみんなして『横綱の品格を認める』から『品格有る横綱』が生まれる。
JOCや日本水泳連盟や日本スキー連盟や日本相撲協会などの考えている『品格』と『強さ』の関係は完璧に間違っているのです。
物ごとの順番が逆なのです。
スノボに限らずオリンピックのような世界大会で優勝する為には『品格が有る』は邪魔にこそなれ、何の役にも立たないのは勝敗を争うスポーツの世界の常識なのです。
『品格が有る』の正反対の『マリーシアを行える者』が勝つ。
ですからJOCや日本スキー連盟は『勝つな』と言っているに等しい事になります。
そして勝者には『品格』(正義?)も同時に付いて来る構造になっている。
全ての競技スポーツの世界では『横綱の品格』とまったく同じで、JOCの考えとは逆に、勝った者(メダリスト)に(周りが認めるので)品格が生まれてくるのです。
『相手の嫌がることを積極的にするのが勝負師』
一般社会の品格(礼儀)とは異なり、『得意技を出させず』相手の弱点を攻めるのが勝負の世界の『品格』で、相手に合わせて『得意技を出させる様に協力する』のはスポーツとは言い難いプロレスなど見世物の世界である。
勝負の世界では、余程の実力差があり絶対に勝てる相手なら相手のやりたいようにやらせるが、普通は『相手の良さをいかに殺すか』に全力を尽くして努力するのです。
だから自分が勝てる。
昔まわしを取れば横綱大関といえども吊り出しで勝てる明武谷という角界一の長身力士がいたのですが、対戦相手は明武谷がまわしを取れば滅法強いことを良く知っているので突っ張りが得意でない力士までが明武谷相手の時は突っ張って離れて相撲を取る。
両まわしを明武谷にがっちり取られて勝てる力士はそれほどいなかったのです。
だから対戦力士は必ず突っ張ったし横綱や大関でもやっぱり突っ張っていたが、相撲が面白かった時代の力士たちは今の朝青龍のように勝負に拘っていたのですよ。
だから相撲はスポーツであったのでしょう。
対戦相手の弱点を攻めずに、相手選手が庇う様では最早スポーツではなくなっている。
網膜剥離でスポーツ生命に危険があるのでライセンスを取り消されていた元チャンピオン辰吉丈一郎の顔面を狙って殴るのが本当の勝負師といえるでしょう。
『実力の世界ではマリーシアが勝敗を分ける』
勝敗を争うスポーツでは如何に規則違反で失格にならない程度の悪事を働くことが出来るかで勝ち負けや一流と二流が決まるのです。
対戦相手に下剤入りオレンジを贈るなどは判らなければ大成功。体格のない10000メートルの松野明美がマラソンに転向したかった理由は体格の良い外国人選手の走行妨害のマリーシアを嫌っての事で、わざと体をぶつけるなどはトラックレースではある意味当たり前の常識ごと。
スキーのノルデック競技で一位になるような選手はマーリーシアでも一流で、わざとストックで他の選手を妨害したりスキー板を踏む反則になる一歩手前の汚い事が出来る選手だけが一流といわれている。
意識的に汚い事(マリーシア)が出来ない選手は二流でコンスタントには勝てない。
将棋の世界で数々の記録を打ち立てた大山康晴は、もちろん実力でも他の追従を許さない抜きん出た超実力者だったが、対戦相手が煙草嫌いならわざと煙を顔に吹きかけたり寒がっていたら立ち上がって窓を開けるなど勝つためには小さな汚い事も怠らなかったが、まさに勝負師の鏡ですね。
スポーツ(競技)では負けたものには意味が無く、勝つことだけに意味がある。勝つものが正義なのです。
そして旧日本軍は誰よりも其の事実を良く知っていたが、敗戦から65年が平和に戦争無く経過して何時の間にか『勝てば官軍、負ければ賊軍』の厳しい掟、かっての日本人全員が知っていた『知識』(常識)は完全に失われてしまったのだろうか。?
本来は勝敗を争うスポーツの世界で、日本だけは正反対の『勝敗よりも品格重視』の世の中になっている様だが、何故このように日本人は『極端』から『極端』に走って仕舞うのだろうか。?
旧軍の常識は間違いで、たしかに短期戦では戦場の勝敗が絶対的な価値観だが、何年にもわたる長期の全面戦争では『戦争の大儀』(戦を行うための正義のスローガン)こそが勝敗を決定するの最大の要素であった。
ところが旧日本軍の徹底した『目の前の勝敗重視』の正反対の、現在の日本のスポーツ界の勝負事における『実力よりも品格重視』は競技(スポーツ)の根本原理(価値観)を無視した『スポーツの自己否定』に過ぎない愚行に他ならない。
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★注、英国によるアイルランド植民地化が完成した1801年からユニオンフラッグ(大英帝国の国旗)にはアイルランドの聖パトリック十字が加わっている
小川秀世
政界一の軍事オタク政治家で正直者の石破茂は「命令拒否は死刑か懲役300年に」発言(★注、命令違反ではなくて、命令拒否であることに注意)で有名なのですが、実はグローバルスタンダードで憲法9条のある日本国以外は世界常識を正直に語っただけ。
そもそも軍人に命令拒否権があれば、絶対に政治家が勝手に戦争を起こせない。ところが「命令拒否は死刑か懲役300年」なので世界中で戦争が起きているのです。
「台湾有事は日本の存立危機事態」(台湾有事で日本が自動参戦)との超おバカ(アメリカに対する忖度、過剰適応?)との国会答弁で猛烈に中国を怒らしている反日カルト(統一協会、国際勝共連合)に一番近い政治家高市早苗では、今回合同演習参加でフィリピンに向かう海上自衛隊の駆逐艦いかづちがわざわざ遠回りし台湾海峡を通過した。少し前には陸上自衛隊将校になり立てほやほや(幹部学校卒業直後)の男が九州大分県の基地を抜け出して刃物を持って中国大使館に侵入する事件が発生したが高市内閣は遺憾表明だげで一切謝罪するつもりがない。(★注、遺憾を辞書で調べれば、「期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。」少しも謝罪の意味を含んでいない)
わざと中国との紛争を煽ているのです。
世界帝国アメリカは航行の自由作戦で何度も行っているが、わが日本国の武力装置の自衛隊軍艦の台湾海峡通過を1972年の日中国交回復(日中共同声明)以後長年自粛していたのですよ。
自衛隊の台湾海峡通過の最初が「消えた弾丸」安倍殺しの岸田文雄政権末期の2024年9月(2024年10月1日が石破茂首相就任なので、岸田文雄の最後っ屁。日中抗争の置き土産)
岸田文雄は2024年8月自民党総裁選出馬を断念、9月27日に高市早苗を僅差で抑えて石破茂は辛くも自民党総裁に選ばれるが、その2日前の9月25日に禁断の自衛隊駆逐艦の台湾海峡通過が断行された。(ただし日本の自衛隊単独ではなくオーストラリアとニュージーランド艦と台湾海峡を共同して通過した)
困った話であるが、何事もコロンブスの卵で、どんな困難な出来事でも誰かが行えば2回目からは簡単に行われるようになる。
何と軍事オタク石破茂は2025年2月と6月と短期間に自衛隊戦闘艦の台湾海峡通過を行ったのですから驚くやら呆れるやら。日本経済に一番関係が深い中国とわざと騒動を起こして損することはあるが良いことは少しもない。
★注、今回中国との騒動を煽りたい高市早苗は日清戦争敗北で台湾を完全植民地化(中国本土は半植民地化)する1895年(明治28年)4月17日(日清戦争の)下関条約締結の記念日(中国の「屈辱の日」)を、わざわざ選んで台湾海峡通過を行っていた。相手が怒って当然の日本(高市早苗)の露骨すぎる愚かな挑発行為なのである。
シビリアンコントロール
軍人の暴走を抑えるのがシビリアンコントロールで「これは良い事」とされているのですが、
今の米国は狂人シビリアンの暴走を軍人が職を賭して(30人が馘)止めるがそれも危ういのが現実。
高市狂人の暴走(自衛隊派遣を訪米時にトランプに献上)を周囲が羽交い絞めにして止めたというのも本当の様だし。なんともはや。
レベル7の核事故フクシマで起きた自衛隊の悪質極まる「サボタージュ禁止」が目的の石破茂「命令拒否は死刑か懲役300年に」
軍人の暴走を抑えるのがシビリアンコントロールで「これは良い事」とされているのですが、大日本帝国では「天皇の統帥権」を口実にして軍部(軍人)が政府(文民)の上に君臣して暴走、最後は国を滅ぼした挙句に最後は宗主国アメリカの属国もどき成り果てた。
2011年東京電力福島第一発電所のブラックアウト発生で民主党の菅直人首相がアメリカ軍に155mm榴弾砲を吊り下げ輸送出来るタンデムローター大型ヘリ(チヌーク)による電源車の空輸を頼んだが断られている。
(★注、当たり前です菅直人が米軍に頼む前に装備がアメリカと同じ自衛隊に空輸を指示したが「安全が担保されていない」とあっさり断られた)
そもそも自衛隊は「命令拒否は死刑か懲役300年」になっていないので、3号基の大爆発を見て浮足立って一般市民を見捨ててレベル7の核事故フクシマの現場から逃亡していた。(福島県南相馬市の避難所や市役所に「原発が爆破するので100キロ圏から逃げて下さい」と言い残して自衛t隊員全員が姿をくらました(無責任で心底腐っている傭兵組織の自衛隊の許されない怠慢をマスコミが忖度して全員で隠すから辻褄が合わないだけ)
肝心な時にシビリアンコントロールが機能しない腐敗堕落した世界帝国アメリカの軍事組織
第一次トランプ政権(ドナルド・トランプ第45代大統領)末期には米軍制服組トップのマーク・ミリー統合幕僚会議議長(陸軍大将)がアメリカ政府に内緒で中国(人民解放軍?)と直接接触していただけではなく、コロナ騒ぎに便乗したインチキ「郵便投票」を悪用して痴呆症老人居眠りバイデンが歴史上最大得票獲得を偽装した時に米軍司令官クラス連名で、もはや「現職大統領のドナルド・トランプには従わない」との共同声明まで発表している。(★注、見本にしたいような宗主国アメリカの宮廷クーデター)
確かにテレビや新聞などマスメディアでは連日米イスラエル連合軍によるイラン奇襲攻撃で大騒ぎしているのは事実ですが奇妙でいかがわしいディスインフォメーションの見本のような話で、たぶん何かのミスディレクション。(今も終わることなくダラダラ続いているアパルトヘイト犯罪国家イスラエルによるパレスチナの土地泥棒の大虐殺の蛮行を国際ニュースから隠したい。正に悪質な手品か詐欺の類である)
4月30日 毎日新聞(オピニオン)「余禄」
中国に進出している日系企業が気をつけなければならない日がいくつかある。
日中全面戦争につながる盧溝橋事件(1937年)が起きた7月7日、満州事変の発端となった柳条湖事件(31年)の9月18日などだ
▲反日感情が高まりやすく、宣伝やイベントを控えるのが半ば常識となっている。7月7日に新製品を発表するとの広告をネット上に出し、当局から罰金を科されたケースもある
▲中国とつき合う上でリスク管理は不可欠だが、それでも4月17日を意識している日本人は限られるだろう。1895年に清朝が台湾を日本に割譲した下関条約が締結された日である
▲海上自衛隊の護衛艦がこの日に台湾海峡を通過したことに対し、中国メディアが「意図的な挑発」と非難している。台湾を自国の一部とみなす中国は、海自の艦艇が初めて台湾海峡を通過した2024年9月以来、航行のたびに抗議してきたが、今回は反発のトーンを強めた
▲中国のネット上では、中国大使館に自衛官(高卒の防衛大学校ではなく大卒の幹部学校卒業直後の三尉)が侵入した3月24日が、131年前に条約交渉で山口県に滞在していた清朝の全権大使、李鴻章が暴漢に銃撃されて負傷した日と同じであることを強調する声も目立つ
▲相手国の意図を正確に認識できず、陰謀論のような言説にとらわれてしまえば、対立の激化は避けられない。日本が安全保障政策を転換している中、対外的にも丁寧に説明すべきだろう(以下省略)
「落ちこぼれ」が教官の防衛大学校 (2023/07/30 軍事、外交)
「病人・けが人・咎人」は自衛隊の隠語で、教育部署に回される自衛官の類型を揶揄して使われているフレーズです。病人とけが人は、本人だけの責任ではありませんが、咎人は論外です。
「商業右翼」を講師として学外から招く悪習
(Q)「咎人」とはどういう意味?
部隊や自衛隊内のさまざまな機関でパワハラや服務違反を起こしたり、職務上のミスを多く犯した者。要するに部隊や諸機関で持て余された人々が、「手軽な左遷先」として防大の防衛学教育学群に送られてきている(抜粋)
脳みそが空っぽで目が節穴のネトウヨに大量破壊兵器
刃物を持って中国大使館に侵入した自衛隊(尉官)は自衛隊幹部の教育養成機関の深刻な問題点を露呈した。高卒の防衛大学校(四年制)だけではなく大卒の幹部養成学校(一年制)でも講師として手軽に頭が空っぽで目が節穴の低能ネトウヨと同水準の「商業右翼」を使っている可能性が高い。
敗戦後初めての大珍事
最も政治的中立が必要な軍事組織自衛隊(中央音楽隊)の初めての与党自民党大会出席も大問題だが、
鶫真衣(つぐみ まい)3等陸曹は、ネトウヨ業界では有名な存在でヤクザとカルト宗教の奇妙な混合物「日本会議」の各地で行われる色々な大会開催に際して陸上自衛隊中央音楽隊として歌唱して盛り上げていたのである。(★注、「日本会議の研究」著者菅野保によると有名な神道系右翼「生長の家」ではなくて、現在は破廉恥なアパルトヘイト犯罪国家イスラエルとずぶずぶの関係にある破壊的カルト教団「キリストの幕屋」が牛耳っている)
「武器輸出解禁」当日に起きた最新式「10式戦車爆発」(砲塔なのか砲弾なのかは不明)
天網恢恢疎にして漏らさず
靖国参拝(日本軍は悪くない)に拘る高市早苗政権によって長年の悲願である(敗戦後初めての)日本の武器輸出解禁当日に起きた三菱重工の最新式10式戦車の砲塔内部暴発事故で3人死亡1人重傷したが百数十年前の日露戦争の当時なら、それほど珍しくない。
21世紀だから大問題なのである。
腔発(こうはつ)とは、砲弾が砲身の内部で爆発する事故のことである。砲口から飛び出す前に砲身内で起爆するため、密閉された空間で本来の破壊力が搭乗員や砲手に直接及ぶ、軍関係者が最も恐れる事故の一つとして知られている。
2026年4月21日に大分県の日出生台演習場で10式戦車の120mm砲が砲塔内で破裂し3名の隊員が殉職した事故を契機に、「腔発」という普段は耳慣れない専門用語が一気にインターネット上の検索対象となった。本記事ではこの用語の意味、原因類型、そして日露戦争から現代までの主要事例を、入門者にも理解できる形で体系的に解説する。
日露戦争期:戦艦三笠と山本五十六の悲劇
1904年から1905年にかけての日露戦争は、日本海軍にとって大規模な実戦の最初の本格経験であったと同時に、腔発事故の集中発生期でもあった。
1904年(明治37年)5月、旅順港閉塞作戦において戦艦八島の12インチ砲と防護巡洋艦厳島の4.7インチ砲で腔発事故が発生。同年7月の黄海海戦では、連合艦隊旗艦戦艦三笠の12インチ砲で腔発が発生し、分隊長として乗り組んでいた皇族軍人・伏見宮博恭王(海軍少佐)が負傷した。
そして決定的な一戦となった1905年(明治38年)5月の日本海海戦では、戦艦三笠・敷島・朝日の12インチ砲、装甲巡洋艦日進の8インチ砲で立て続けに腔発が発生している。この日進には、当時海軍兵学校を出たばかりの少尉候補生・高野五十六(後の連合艦隊司令長官・山本五十六元帥)が乗艦しており、腔発事故により左手の人差し指と中指を失っている。
興味深いのは、これらの腔発事故の一部は当時「敵弾命中による損傷」と報告されていたことである。関係者への責任問題への発展を避けるためだった。しかし、敵弾の命中などの外圧によって砲身切断が起きることはあっても(そのまま無理に射撃しなければ)腔発が起こることは決してない。腔発は砲身内部での早期爆発によってのみ起こる現象である。この「責任隠蔽のため戦闘被害に偽装する」文化は、後の日本軍の事故処理文化にも影を落とすことになる。(抜粋)
2026年4月22日