逝きし世の面影

見たくないものは忘れ去られる。時が経ち記憶が薄れる以上の速さで真実の歴史の記録が書き換えられていく憂うべき有様を嘆きつつ、やがて消えいく我が身なれば逝きし世の面影を僅かではあるが残せればと思う。

トランプ1953年朝鮮戦争休戦協定順守か?

トランプ氏、米韓軍事演習の大幅縮小指示 金正恩氏との関係強調

トランプ米大統領。
トランプ米大統領。8月16日、米ニュージャージー州のモリスタウン空港で撮影。REUTERS/Ken Cedeno
[ワシントン 16日 ロイター] - トランプ米大統領は16日、韓国との10日間の合同軍事演習を大幅に縮小するよう国防総省に指示したと明らかにした。
演習を完全に中止するには手遅れだとしつつ、米国が以前に演習への参加に同意したことに「不満だ」
「これらの演習は費用がかかるだけでなく、​私が大統領になって以来、脅威を与えず敬意を払ってきた国に対して、全く不適切で​敵対的なメッセージを送ることになる」とし、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総⁠書記との「非常に良好な関係」を強調した。
トランプ氏はさらに、米国の対イラン政策に対​する韓国の立場にも触れ、「先日、韓国の大統領にイランの非核化にわれわれと共に参加しないか​と尋ねたところ、『結構です!』と断られた」と演習開始の数時間前に‌自身の交流サイト(SNS)「トゥルース・ソーシャル」に投稿(抜粋)
8月16日 ロイター
 
米韓合同軍事演習どころか、実は米軍の韓国駐留自体が休戦協定の致命的な重大違反
 
日本版CIA(外務省国際情報局長)の孫崎享によると1953年の朝鮮戦争休戦協定では全外国軍の速やかな朝鮮半島からの撤退が明記されており、中国義勇軍は全軍撤収を完了しているが、アメリカ軍は73年後の今も南朝鮮(韓国)に居座り続けていた。アメリカによる露骨で悪質な違法行為。明確な休戦協定破りなのである。
むべなるかな。あの「玉音放送」の5日前。ソ連赤軍対日参戦で本土決戦一億玉砕作戦を断念し1945年8月10日に受諾したポツダム宣言には我が日本国から軍国主義から解放され民主化すれば占領している全軍が撤退すると書いてあるが、秘かに旧日本軍復活の現状では、今もアメリカ軍の占領下なの当然至極)
 

三一独立運動から97年目の日本と南北朝鮮  (2016/03/02 東アジア共同体)

ナチスドイツのソ連奇襲(バルバロッサ作戦)と連動していた日本軍の関東軍特種演習と、危険な米韓合同軍事演習の目的』

関東軍特種演習(関特演)とは、1941年(昭和16年)6月22日にナチスドイツの対ソ奇襲攻撃(バルバロッサ作戦)が開始されると、7月2 日の御前会議は『情勢の推移に伴う帝国国策要綱』を採択し、独ソ戦が有利に進展すれば、日本軍としても日独伊三国同盟を利用してソビエトの極東とかシベリアに侵攻してこれを押されるとの裏の目的があった。
日本軍が実施した対ソビエト連邦 作戦準備。略称は関特演(カントクエン)は、昭和16年(1941)夏に 日本軍が行った対ソ戦準備であり、演習と称してソ満国境近くに関東軍兵力70万を動員したが 、開戦には至らなかった。
ドイツに攻め込まれたソ連ですが、ヨーロッパの西部戦線だけではなくて日本相手に東部戦線(極東)にも大きな戦力を配置して準備する必要があり、無理な二正面作戦をとったソ連軍はドイツ相手の東部戦線は総崩れ状態になる。
ところが半年後スパイゾルゲの『日本軍はソ連侵攻の意思なし』との情報で東部戦線に配備していたシベリア師団をモスクワ戦線に投入したソ連軍はドイツ軍に初めて大勝する。
日本軍が実施した対ソビエト連邦 作戦準備である関東軍特種演習が無ければ、ソ連軍としては侵攻したドイツ軍に対して総力を結集して抵抗出来るので、歴史が違っていた可能性が高いのです。
この時の日本軍の演習である『関特演』(カントクエン)ですが、とんでもなく大きな意味がある。
ところが、いま日本の有識者で97年前の朝鮮の『三一独立運動』に無関心なのと同じで、75年前の関東軍特種演習を話題にしている者は誰もいない。ほぼ反戦塾のましまさん位の例外的な話なのです。知識の劣化というか歴史の忘却というか。何とも情けない話である。

『日本軍の関特演(カントクエン)と同じで、実戦を想定して実施されている米韓合同軍事演習』

この75年前の関東軍特種演習によく似た話が、実は毎年毎年、3月ごろから2か月間ほど南北軍事境界線付近で行われている米韓合同軍事演習なのですから怖ろしい。
75年前の関東軍特種演習と同じで、もしも『北』が油断して何もしなけば一気に北進して決着をつけるとの何とも剣呑な演習なので、北朝鮮としては万全の体制を引いている。その間ほぼ経済活動が止まっているとも言われています。
特に問題なのは2013年からは核の使用も躊躇わないとの超強硬な対北朝鮮ドクトリンを決めているのですから怖ろしい。
国際社会がいくら核やミサイルを放棄しろと言っても北朝鮮が一切聞き入れない理由ですが、実は米韓による『関東軍特種演習』が理由だった。北朝鮮としては何十年も前から危ない米韓合同軍事演習の中止を申し入れているのですが、無視して現在も続いている。

盧 泰愚
노태우

大統領公式肖像(1988年撮影)


面白い話ですが、短期間だけ中止されていた時期があるのですが、左翼政権であると言われている南北首脳会談でノーベル平和賞を受賞した金大中大統領でも人権弁護士出身の盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領でも無くて、実は光州事件など自国民に対して情け容赦なく血なまぐさい大弾圧を加えた狂暴な軍事政権の盧泰愚大統領の時にだけ一時的に中止されていた。
職業軍人出身の盧泰愚大統領としては、やはり他の誰よりも米韓合同軍事演習の持つとんでもない『危険性』を知っていたのである。

外務省国際情報局長や防衛大学校の教官を務めた孫崎 享は3月3日、
‏@magosaki_ukeru 『国連は対北朝鮮制裁措置決議。しかし制裁措置は北朝鮮の開発意思を一段と強める。キッシンジャー昔「(核保有中小国には)無条件降伏を求めないことを明らかにし、どんな紛争も国家の生存の問題を含ま ない枠を作ることが米国外交の仕事」。』と指摘している。

無条件降伏通告後の1945年8月11日第一面の明仁皇太子

「大日本帝国」降伏から81年の日本

知性の劣化が止まらない。お粗末な日本国のマスコミが喧伝する人類に対する2回目の長崎原爆以上の大事件だった同じ日付、8月9日未明のソ連赤軍の対日参戦は誰も取り上げない。

 

ドイツ降伏3か月後(1945年8月9日)のソ連軍対日参戦で即座に御前会議開催でポツダム宣言受諾(無条件降伏)を決定し、翌8月10日には連合国軍に打電する。

連合国軍に日本降伏を連絡した後の1945年8月11日付け朝日新聞東京本社版第一面の一番大きい記事は(唯一の統帥権を持つ戦争犯罪人筆頭格、最低でも天皇譲位が避けられないヒロヒト天皇に変えて)当時11歳の明仁皇太子殿下(現上皇)

それとなく日本敗戦を知らせる意図の情報総局の下村談話は2番目、見出しの活字を大きく太くすることで目立たせることを狙ったというが新聞紙面の扱いは明仁皇太子が第一番目。(★注、たぶん知的エリート」(エスタブリッシュメント)である報道人として一貫して戦争を主導した裕仁(ひろひと)の天皇退位は常識だったと思われる)

3番目の記事が奇妙奇天烈摩訶不思議な怪文章。8月15日の「玉音放送」で唯一自決した阿南惟幾・陸軍大臣の談話は「全軍将兵に告ぐ」と題し、(ソ連参戦には言及しているがアメリカの原爆は無視)徹底抗戦を呼びかける内容だった。下村情報総局総裁談話はソ連参戦と米軍の原爆の両方を書いている。

長崎原爆、国際法規を無視する残虐な新型爆弾(帝国 米国に抗議)はほぼべた記事扱いだった。

 
朝日新聞社(東京本社版)1945年8月11日付
 
朝日新聞社(東京本社版)1945年8月11日付

土記

天皇陛下に伺います=伊藤智永

土記<do-ki>

 

 

戦後30年の1975年10月、昭和天皇、皇后両陛下は初の米国訪問から帰国後、皇居で日本記者クラブとの記者会見に臨んだ。

 原爆投下を「遺憾には思ってますが、戦争中であることですから、広島市民には気の毒であるが、やむを得ないことと思ってます」と語ったのは有名だが、もう一つの「迷答」も戦後史をえぐる。

 記者「ホワイトハウスにおける『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』という発言は、陛下が開戦を含めて戦争そのものに責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。陛下はいわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっておられますか。お伺いいたします」

全文1017文字
有料記事なので大事な部分だけ文字起こしすると

詩人の茨木のり子は直後に「四海波静」で
「どす黒い笑い吐血のように噴き上げる」「三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア」と書いた。
質問したのは英紙タイムズ東京支局の中村康二記者。昭和天皇に直接戦争責任を問いただしたのは、子に人だけ
大正生まれの中村は陸軍から経営を委託されたフィリッピンのマニラ新聞に南方占領で沸き立っていたころ赴任、帰国は敗戦4年後でずっとマニラにいた。
戦況悪化。45年4月にマニラ市街戦が激化し、現地人をことごとく抗日ゲリラと疑う日本軍は、組織的な市民大虐殺を始めた。おそらく中村氏は何もかも見た。
犠牲者10万人以上。第14軍司令官の山下奉文大将、同参謀長の武藤章中将は、ともに命令なき統率責任を問われて死刑となる。
中村氏は戦犯裁判の通訳を務めた。絞首台で遺言を書き留め翻訳。数分後、彼らは自覚なき罪で処刑された。
戦後中村氏は「命令の根源は統帥権にあり、源泉は天皇にあった。天皇は愛国心の古里であった。服従は愛国心の発露であった」(毎日新聞社 専門編集委員)


※拘留される山下


露骨な嫌がらせプロパガンダ(命令なき統率責任を問われ、自覚なき罪で処刑された山下奉文)
東条英機などA級戦犯が絞首刑になった日付は明仁皇太子誕生日の12月23日(天皇即位後は天皇誕生日の祝祭日)
これはドイツのバルバロッサに合わせ関東軍特別演習を繰り広げる日本軍の目論見が南方占領だと報告して地獄の絶滅戦争「独ソ戦」勝利に貢献したソ連のスパイ、リヒアルト・ゾルゲ処刑の日付が11月7日で、これはソ連邦で一番大切な祝祭日(革命記念日)とぴったり一致しているのと同じ現象。

山下大将は、1941年(昭和16年)1月から4ヶ月に渡って、当時同盟国であったドイツへの視察団団長を務めていた。(史上最大300万のドイツ軍の対ソ奇襲攻撃バルバロッサ作戦は日本帰国直後の6月22日)海軍連合艦隊(山本五十六)の真珠湾攻撃の何時間も前の山下奉文大将(第25軍司令官)は1941年12月8日午前1時30分(日本時間)に指揮下の第18師団がイギリス領コタバルへの上陸、ドイツ軍が得意とする電撃作戦を彷彿させる勢いで瞬く間にシンガポールを陥落させ「マレーのトラ」との異名がある。

山下奉文はシンガポールでの華僑虐殺、マニラ大虐殺などの戦争犯罪の責任を問われて1945年12月7日に死刑判決、翌 1946年(昭和21年)2月23日早々と処刑される(処刑場所はマニラから2時間の無人地帯で、聖地化を恐れたからだといわれれいる)

陸軍第25軍(山下奉文)マレー作戦発動とぴったり同じ1945年12月8日未明午前1時30分に海軍連合艦隊(山本五十六)艦載機の爆撃機や戦闘機が空母から発艦しているが、アメリカ軍太平洋艦隊基地のオアフ島到着には時間がかかる。

note「真珠湾の日本別経緯まとめ」
03:19 第一波攻撃隊、真珠湾上空に到達、ト連送で全軍突撃を命令
03:22 トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)打電
03:25 急降下爆撃隊、フォード島のホイラー陸軍飛行場に空爆開始
    これが初弾となる
03:27 雷撃開始
03:30 戦闘機隊による地上銃撃開始
03:35 水平爆撃隊による戦艦爆撃開始 
03:36 戦艦アリゾナ爆発

奇襲攻撃とあるが、山下奉文は本物だが陸軍より海軍は2時間も遅い。丸々偽装のにおいがするインチキプロパガンダなのである。



日本降伏から5日後の玉音放送  (2018/11/18 社会・歴史)

1945年8月11日付朝日新聞社(東京本社版)の第一面。(8月10日連合国にボツダム宣言受諾を通告したが『玉音放送』まで隠したので5日間も一般市民は終戦を知らなかった)

『詐欺か手品のような腹立たしい騙し』早めの偽装玉音放送

朝日新聞第一面の一番目が(今上天皇の)明仁皇太子の大きな写真付きの『戦局に深く御関心』、次の見出しが下村宏情報局総裁の『一億困苦を克服、国体を護持せん』、阿南陸軍大臣『死中活あるを信ず』(全軍将兵に告ぐ)だった。
普通の何も知らない善良だが愚かな一般市民が読めば今までと同じ本土決戦、一億玉砕、の檄文だが、日本は前日の8月10日に連合国に対してボツダム宣言受諾(無条件降伏)を通告していた。 
政府と各新聞社は第二次世界大戦が終わった(日本敗戦)を、誰にも分からないよう『それとなく密かに知らせる』心算だった。(終戦をスムーズにするのがマスコミの役割)

『日本降伏=天皇退位』
★注、
朝日読売毎日など各新聞社が全員同じように、第一面の最初に大きく次期天皇明仁皇太子を掲載したが、帝国降伏でヒロヒト天皇の退位(皇太子への譲位)を想定したからだったと思われる。(帝国憲法では主権者は天皇一人なのですから、日本降伏とは天皇退位とほぼイコールだった)


London VJ Day Celebrations 日本のポツダム宣言受諾を知った1945年8月10日イギリス・ロンドン VJ(対日戦勝)に大喜びして街頭に出る人々

【戦後70年】日本国内で伏せられた降伏 1945年8月11日はこんな日だった2015年8月10日The Huffington Post

日本政府の対外情報発信を担う「同盟通信社」が8月10日、対外放送で、日本の降伏受け入れ意思を表明した。翌11日のアメリカ新聞各紙には「日本、降伏受け入れ」の活字が大きく踊った。
連合国は歓喜に沸いた。
しかしこのニュースは、日本国民には伏せられた。
8月11日付の新聞各紙には、まったく方向性の異なる2つの談話が並んで掲載された。
1つは下村宏・内閣情報局総裁の談話。「新型爆弾」やソ連侵攻で、戦況は「最悪の状態」と認め、国民に「国体の護持」、つまり天皇を中心とする社会体制の維持を呼びかけた。降伏が近いことを暗示し、戦時体制から新体制への移行が冷静に行われることを求めたとみられる。
「今や真に最悪の状態に立至ったことを認めざるを得ない。正しく国体を護持し民族の名誉を保持せんとする最後の一線を守るため、政府は固より最善の努力を保持しつつあるが、1億国民にありても国体の護持のためにはあらゆる困難を克服して行くことを期待する」
これに対し、阿南惟幾陸軍大臣の談話は「全軍将兵に告ぐ」と題し、徹底抗戦を呼びかける内容だった。
「断乎神州護持の聖戦を戦い抜かんのみ。たとえ草を喰み土を囓り野に付するとも、断じて戦うところ死中自ら活あるを信ず」
朝日新聞社内では、若手を中心に「阿南陸相の訓示を没にすべきだ」という意見が上がり、大激論になったという。
「政府がすでに宣言受諾に決定し、連合国に通告という段階で、徹底抗戦の陸相訓示を掲載するのは誤りだ。もしこの報道によって、さらに原爆が投下されることになったらどうするか」(部員・団野信夫ら)
「載せたいと思う。この際の新聞の使命は、国全体がスムーズに終戦になるような役割を果すことで、急激に紙面の調子を変えることは、かえって思わぬ刺激を軍や世間に与えて、国内動乱などを引き起こさぬとも限らぬ」(政経部長・長谷部忠)
結局、朝日新聞の東京本社版は、両方を掲載しながら、下村談話の見出しの活字を大きく、太くすることで目立たせることを狙ったという。しかし、8月15日の玉音放送で初めて終戦を知ったという証言も多い中で、どこまで意図が読者に通じたかは分からない。
(以下省略)
2015年8月10日 ハフポスト

3年前のハフポスト『ほぼ1945年8月11日当時と同じ不真面目で腹立たしいフェイクニュース

毎日新聞は阿南陸相の『前軍将兵に告ぐ』が、当の阿南陸相本人が知らない出所不明の怪文章と書いているし、朝日新聞(ハフポスト)記事もほぼ同じ見解に近い内容になっているが、嘘八百大本営発表。真っ赤な嘘、まさにフェイクニュースなのである。
下村宏情報局総裁も阿南惟幾陸軍大臣も、一見すると徹底抗戦を呼びかける内容に思えるが、実はすでに連合国側には日本敗北は通告した事実を『それとなく誰にも分からないように知らせる』内容だった。
内容的に全く同一だったのである。
唯一の違いとは、下村宏内閣情報局総裁の方は日本の敗戦(無条件降伏)理由が原爆とソ連軍の参戦の二つで、阿南惟幾陸軍大臣の方はソ連軍参戦の一つだけだったことぐらい。

政府もマスコミも有識者も『なんとしても日本降伏の原因がソ連参戦である事実を隠したい』

しかし73年前の1945年8月11日朝日新聞記事を見れば明らかだが原爆(惨虐の新型爆弾)の方が活字も小さいし記事も少ない。対してソ連軍参戦の方は活字も記事も明らかに大きくてメインだったことが分かる仕組み。
本土決戦に備えて戦力を温存していた日本軍が唐突に無条件降伏した理由とは何か。
政府もマスコミも有識者も思考停止に陥ったが、ソ連参戦と日本の突然の降伏との因果関係は明らかなのである。

『違いは文官と武官との言葉の違い程度』

マスコミとか有識者が一致して主張する下村宏内閣情報局総裁の日本の敗戦(無条件降伏)を『それとなく日本が負けたとほのめかす』談話と、それとは180度正反対だと主張している阿南惟幾陸軍大臣の檄文ですが、どちらも文章の一部の文言だけを『つまみ食い』するだけである。
決して全文を掲載しないので、よほど長文なのかと勘違いするが、両方とも何とも短いのである。辻褄が少しも合わない。
マスコミや有識者は本来隠せないものを挙国一致で全員で必死で隠している。(★注、両方を読み比べれば誰にでも分かるが、違いは文官と武官との言葉の違い程度で二つには、ほとんど違いが無い事実を隠したかったのである)

『日本降伏の原因は原爆かソ連参戦の二者択一だが、何れにしろ怖ろし過ぎる』

これ等の不真面目なマスコミや有識者ですが、アメリカ軍の原爆では何も動かなかった日本が、ソ連軍の参戦を聞いたら即座に御前会議を開いて8月9日ポツダム宣言受諾を決定、翌10日に連合国に通告した事実を必死で隠したい。ソ連軍参戦と日本降伏が一つのコインの裏表の関係である事実はタブー中のタブー。最も恐ろしい禁忌だった。
日本降伏の原因はアメリカ軍による原爆の投下か、それともソ連赤軍の対日参戦の二者択一だったが、何れが正解でも都合が悪過ぎるので有識者を含め日本人の全員が思考停止に陥ったまま現在に至っている。

ソ連参戦にしか触れていない阿南陸相』 原爆にも触れている情報局総裁の方は少しは誤魔化しが効く
★注、
ロシア革命でのロマノフ朝の滅亡『ソ連赤軍による皇帝一家全員の処刑』は今では歴史上に出来事だが、73年前の1945年当時は生々しい現実問題だった。
日本はソ連赤軍にだけは降伏したくなかった。国体護持『天皇制の保持』が至上命令の日本は1日でも早くアメリカに降伏する以外の道は残されていなかったのである。








1945年8月10日イギリス・ロンドン 対日戦勝(VJ)を大喜びするて人々

高見順の敗戦日記』タブー中のタブー、情報局総裁と阿南惟幾陸相を全文掲載
8月10日


警報でおこされた。
空襲。やがて空襲警報が解除になり、警戒警報も解除。とまた警戒警報が鳴りつづいて空襲警報。文報行き中止。
新聞が来た。「ソ聯、帝国に宣戦」と毎日、読売とも大きく出ている。ただし毎日は、東宮職が設けられ、穂積重遠博士が東宮大夫侍従長に任ぜられたという記事の方がトップに出してある。
ソ聯の宣戦は全く寝耳に水だった。
情報通は予感していたかもしれないが、私たちは何も知らない。むしろソ聯が仲裁に出てくれることを秘(ひそ)かに心頼みにしていた。誰もそうだった。新聞記事もソ聯に対して阿諛(あゆ)的とも見られる態度だった。そこへいきなりソ聯の宣戦。新聞にもさらに予示的な記事はなかった。
——いや、今日、改めて見たら8日に次のようなチューリッヒ特電の記事が出ていた。しかしこれだけである。これだけでは、ソ聯の宣戦は予感できない。

ソ聯最高会議招集
チューリッヒ特電6日発〕
スターリン首相は5日ポツダムよりモスクワに帰着したがAEP(欧洲通信社)モスタワ特電によればスターリン首相は帰還直後臨時にソ聯最高会議を招集、重要問題を審議決定する予定である、右に関しモスクワ外交団筋では最高会議で決定される問題は サンフランシスコ会議で成立した国際憲章並にポツダム宣言の批准であると観測してゐる、なほ目下蒙古人民共和国の軍事使節団がモスクワを訪問中といはれる

ソ聯の宣戦は一種の積極的仲裁運動なのであろうか。それとも、原子爆弾の威力に屈服したのだろうか。——ラジオの報道はソ聯問題や対ソ戦況に関することを何も言わない。東宮職のことをしきりにいうだけである。日本の対ソ宣戦布告も発表されない。気味のわるい一日だった
5時の報道で大本営発表があった。
そのなかに対ソ軍の戦況発表があった。比企ヶ谷の小島家へ行った。海桜隊から頼まれていた講演の件を小島さんに話さねばならぬのだが、原子爆弾の出現となって、危険な東京へ出て貰うのがいかにも心苦しい。しかしもう明日に迫ったので、とにかく相談してみようと思って行ったところ、小島さんは床についていた。なに、明日になったらなおるだろうから行きましょうと小島さんはいう。

店へ行くと、久米さんの奥さんと川端さんがいて、「戦争はもうおしまい——」という。
表を閉じて計算していたところへ、中年の客が入って米て、今日、御前会議があって、休戦の申入れをすることに決定したそうだと、そう言ったというのだ。明日発表があると、ひどく確信的な語調で言ったとか。
あの話し振りでは、まんざらでたらめでもなさそうだと川端さんがいう。「浴衣掛けでしたけど、何んだか軍人さんのような人でしたよ」と久米さんの奥さんはいう。
「休戦、ふーん。戦争はおしまいですか」
「おしまいですね」と川端さんはいう。
 あんなに戦争終結を望んでいたのに、いざとなると、なんだかポカンとした気持だった。どんなに嬉しいだろうとかねて思っていたのに、別に湧き立つ感情はなかった。その中年の客の言葉というのを、信用しないからだろうか。——でも、おっつけ、戦争は終結するのだ。惨めな敗戦で終結——というので、心が沈んでいるのだろうか。
とにかく、こういう状態では講演どころではないだろう。中止だ、行くことはないだろう。——小島家へそのことを言いに行った。
「戦争はおしまいだそうです」
「そうかねえ。しかし、たった今、ラジオでは阿南陸軍大臣が徹底的に戦うのだといっていたぜ」
「え?」
 7時の報道だ。——とことんまで戦うということも考えられる。そしてそういう場合は、みんな駆り出されて、死ぬのである。国も人民も、滅びるのである。
「広島では知事も大塚総監も、みんな死んだそうだが、畑元帥は山の方にいて助かったそうだよ」
 と小島さんは言った。
電車に乗って帰った。車中でも歩廊でも、人々はみな平静である。
真に平静なのか。それとも、どうともなれといった自棄なのか。戦争の成行について多少とも絶望的なのは確かだ。ソ聯の宣戦について誰ひとり話をしている者はない。昂奮している者はない。慨嘆している者はない。憤激している者はない
だが、人に聞かれる心配のない家のなかでは、大いに話し合っているのだろう。私たちが第一そうだ。外では話をしない。下手なことをうっかり喋って検挙されたりしたら大変だ。その顧慮から黙っている。全く恐怖政治だ。
黙っている人々は無関心からもあるだろうが、外ではうっかりしたことを言えないというので黙っているのもあるわけだ。そして、みんな黙っているところからすると、誰でもひとたび口を開けば、つまり検挙される恐れのあることを喋るということになる。そういう沈黙だとすると、これでは戦いには勝てない。こういう状態に人々を追いやったのは誰か。
蓑口幸子さん来る。平野徹君来る。新田君帰る。
「——こんなことになろうとは思わなかった」 これがみんなの気持だった。
9時の報道を聞く。阿南陸相の全軍への布告。下村情報局総裁の布告を聞く
日本は、そして私たちは、結局、どん底へと落ちて行くのだろうか。
書斎の前の藤棚につるをのばして行ったかぼちゃが、眼の前に実を垂らした。みるみる大きくなって行く。昼間、空襲の際、写生をした。空襲にまだ慣れなかった今年のはじめ頃、空襲というと書斎でラファエルなどの素描の模写をしたことを思い出した。

8月11日
   
起きると新聞を見た。毎日、読売両紙とも、トップには皇太子殿下の写真を掲げ
「皇太子さま御成人・畏し厳格の御日常」(毎日)
「畏し皇太子殿下の御日常・撃剣益々御上達・輝く天稟の御麗質拝す」(読売)
 と見出しを掲ぐ。次に情報局総裁の談話。
毎日新聞
国体を護持、民族の名誉保持へ  最後の一線守る為  政府最善の努力  国民も困難を克服せよ
情報局総裁談
敵の本土上陸作戦に対しわが方は軍官民挙げてこれが準備に邁進驕敵を撃砕すべく決意してゐるが敵の空襲状況は最近急激に暴虐化し殊に広島地区に対し新型爆弾を使用し残虐目をおほはしめる行為を敢てし、ここに一般無事の老幼婦女子を殺害するに至つた、加へて中立関係にあったソ聯の参戦がありわが国として今や真に重大な段階にたち至つた、政府としては国体を護持し民族の名誉保持のため最善の努力を尽してゐるが、10日午後4時半下村情報局総裁は総裁談を発表、政府の決意を披瀝すると共に国民が国体護持のためあらゆる困難を克服すべきことを要望した

  情報局総裁談(10日午後4時半)
敵米英は最近頓(とみ)に空襲を激化し一方本土上陸の作戦準備を進めつつあり、是に対し我陸海空の精鋭は之が邀撃の戦勢を整へ、今や全軍特攻の旺盛なる闘志を以て一挙順敵を撃砕すべく満を持しつつある、この間に在つて国民挙げてよく暴虐な敵の爆撃に堪へつつ義勇公に奉ずる精神を以て邁進しつつあることは誠に感激に堪へざるところであるが、敵米英は最近新たに発明せる新型爆弾を使用して人類歴史上嘗(かつ)て見ざる残虐無道なる惨害を一般無辜の老幼婦女子に与へるに至つた、昨9日には中立関係にありしソ聯が敵側の戦列に加はり一方的な宣言の後我に攻撃を加ふるに至つたのである、我が軍固(もと)より直ちにこれを邀(むか)へて容易に敵の進攻を許さざるも今や真に最悪の状態に立ち至つたことを認めざるを得ない、正しく国体を護持し民族の名誉を保持せんとする最後の一線を守るため政府は固より最善の努力を為しつつあるが、一億国民に在りても国体の護持の為には凡ゆる困難を克服して行くことを期待する

読売の見出しは
今や真に最悪の事態到る  情報局総裁談・国民の覚悟と忍苦要望  最後の一線・国体護持  最善の努力を傾注  空前の殺戮新型爆弾
 見出しはともに同じである
情報局総裁談話中から抜いたものとはいえ——。ここに何か含みがある如く感じられる。「国体護持」この「最後の一線」を唯一の条件として、やはり休戦を申し込んだのではないか。それにしては、陸相の布告は何事か。

全軍将兵に告ぐ  ソ聯遂に鋒を執って皇国に寇す 名分如何に粉飾すと雖(いえど)も大東亜を侵略制覇せんとする野望歴然たり
事ここに至る又何をか言はん、断乎神洲護持の聖戦を戦ひ抜かんのみ
仮令(たとえ)草を喰み土を噛り野に伏するとも断じて戦ふところ死中自ら活あるを信ず
是即ち七生報国、「我れ一人生きてありせば」てふ楠公救国の精神なると共に時宗の「莫煩悩」「驀直進前」以て醜敵を撃滅せる闘魂なり
全軍将兵宜しく一人も余さず楠公精神を具現すべし、而して又時宗の闘魂を再現して驕敵撃滅に驀直進前すべし
   昭和20年8月10日                    陸 軍 大 臣

「——何をか言はん」とは、全く何をか言わんやだ。国民の方で指導側に言いたい言葉であって、指導側でいうべき言葉ではないだろう。かかる状態に至ったのは、何も敵のせいのみではない。指導側の無策無能からもきているのだ。しかるにその自らの無策無能を棚に挙げて「何をか言はん」とは。嗚呼かかる軍部が国をこの破滅に陥れたのである。
新聞記事だけでは、動きはさっぱりわからない。取引所の立会停止が小さく出ている。長崎の新爆弾が発表になったが、簡単な扱いだ。

某君(註=義兄)来たり、情報を持ってきてくれた。昨日の動きだ。降伏申入れはやはり事実のようだ。店へ寄った。街の様子は、前日と同じく実に平静なものだった。無関心の平静——というべきか。
対ソ戦に関する会話、原子爆弾に関する会話を、外では遂にひとつも聞かなかった。日本はどうなるのか——そういった会話は、憲兵等の耳を恐れて、外ではしないのが普通かもしれないが、外でしたってかまわないはずの対ソ戦や新爆弾の話も遂にひとことも聞かなかった。民衆は、黙して語らない
大変な訓練のされ方、そういうことがしみじみと感じられる。同時に、民衆の表情にはどうなろうとかまわない、どうなろうとしようがないといったあきらめの色が濃い。絶望の暗さもないのだ。無表情だ。どうにかなるだろうといった、いわば無色無味無臭の表情だ。
これではもうおしまいだ。その感が深い。とにかくもう疲れ切っている。肉体的にも精神的にも、もう参っている。肉体だけでなく精神もまたその日暮しになっている。
夜、——空襲警報。「どういうんだ。こんなはずはない」と私は妻に言った。
街では、13日に原子爆弾が東京を襲うという噂が立っていた。
交渉決裂の場合はかかることも考えられるわけである。

新田が郵便貯金の印を焼いたので改印届を出しに行った。ついでに貯金をおろした。
「ところがおろすのは俺1人で、あとは皆んな預けているんだ」と新田は言った。
支那あたりだったら、今頃は我も我もと預金をおろす人で大変だろう。日本人は敗戦の経験がないのだから、思えば幸福な国民である。まるで、箱入娘だ。従順で、そして無智。親のいうことは素直に聞くが、親のあやまちを知ることも出来ない。親が死んだら、どうなるか。

8月12日
 
新聞が来ない。
きゃたつを担いで、かぼちゃの交配をして廻った。
(以下省略)




1945年8月10日イギリス・ロンドン 新聞を掲げて喜ぶ大勢の兵士や市民

『対日戦勝(VJ)は英国だけ?同じく大喜びする米国内の画像を掲載しない不真面目』

8月10日の日本降伏で戦争は終わったがアメリカ軍は8月15日の『玉音放送』まで無意味にわざと戦闘を長引かせて破壊と殺戮の限りを尽くした。(★注、これはソ連軍の千島侵攻と連動していたと思われる)

ソ連参戦とイコールだった日本降伏』時間と共に失われた日本の常識

有識者にとっては、国力に大きな違いがある対米戦争に(早期の停戦で引き分け以外)勝ち目が少しも無い事実(日本敗北)を1941年12月の真珠湾奇襲攻撃時点で自覚していた。
ましてや戦局が極度に悪化した1945年8月時点では、ソ連の仲介による停戦『条件付きの降伏』以外に残された道が無かった。
ソ連参戦で即座に日本は降伏するが、しかしソ連参戦とイコールだった日本降伏』(もしもソ連参戦が無いと、日本は予定していた一億玉砕の『本土決戦』に突入していた)との当時の常識は、ヒロシマナガサキの原爆が不必要だった事実が浮び上るのでアメリカにとっては都合が悪すぎる。
日本が8月10日にポツダム宣言受諾を通告しているのに、アメリカは閉店前の在庫一掃セールのように大都市の工業施設の破壊だけではなく焼野原にならずに、わずかに残っていた中小都市にまでB29の無差別爆撃を行うし、戦闘機による機銃掃射で一般市民や漁民まで殺戮していた。
1956年の日ソ共同宣言での平和条約締結をアメリカのダレス国務長官が『沖縄を返さない』と恫喝して阻んだ原因とは、もちろん冷戦構造の維持も大きな目的だったが、それ以上に『ソ連の対日参戦』が日本降伏の決め手だった事実を何んとしても隠したかった。
★注、当時は常識だった『ソ連参戦=日本降伏』が、長い時間が経った今では完全に忘れられたのですから、この卑劣なアメリカの思惑は大成功する。

 

サッカーワールドカップとマリーシア

世界ランク1位アルゼンチン対世界ランク2位のスペインとのサッカーW杯頂上決戦

過去に決勝トーナメントで1勝もできない(予選リーグで力尽きる)日本チームは2026年サッカーワールドカップでは優勝を目指していると喧伝していたが、マリーシアを連発する昨日のアルゼンチン対スペインの試合観戦の感想からは夢のまた夢。マリーシアが一切ないJリーグの日本のサッカーと世界基準マリーシア炸裂(相手選手のユニホームを引っ張る程度は序の口で羽交い絞めや押し倒し、突き飛ばしなど球技よりほぼ格闘技)のサッカーワールドカップとは別世界だった。

マリーシアは元々はポルトガル語で『ずる賢さ』を表す単語で、主にサッカー界で使われるが意味するところは、『審判にバレない反則は反則とは呼ばない。それは高等技術と呼ぶ。』で、ネガティブな意味で使われることは少なく、一流選手の証が『如何にマリーシアを行えるか』なのです。

 

[Malaysia] 

これはサッカー用語マリーシアとまったく無関係。イギリス東インド会社旗の左上カントン部分のユニオンジャックをイスラム教の象徴である三日月と星に変えただけのマレーシア国旗

 

マリーシアを理解出来ない人々 2010/02/23 09:22:17 カテゴリー:スポーツ・文化

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『茶髪禁止令』

日本水泳連盟は20日、都内で開いた理事会で、「茶髪、ピアス、華美なネイルは禁止」などとする競泳日本代表選手の行動規範を、飛び込み、水球、シンクロナイズド・スイミング、オープンウオーターの各代表選手に対しても適用することを決めた。4月から順守を求める。同連盟の泉正文専務理事は「競泳選手のために行動規範をまとめたが、同じ日本代表ならすべて適用しようという意見でまとまった」と説明した。
朝日新聞2010年2月21日

丸刈りは美しい』らしい。

そのうちには冗談抜きで、日本を代表してオリンピックに参加する日本選手たちには男女ともに丸刈りを強制してもらう話に成りかねない。
今を先立つ10年前に早々と何とも時代錯誤のいかがわしい『品格騒動』(イジメ)を引き起こし、日本のスポーツ界として初めて選手(千葉すず)にスポーツ裁判所に提訴された日本水泳連盟が、今回は朝青龍や国母選手の品格騒動に便乗して『極めつけ』をやってくれたようです。

『国母選手と日本スキー連盟』

『行儀が悪い』を理由に国母選手の大会出場を阻もうとするなど『千葉すずの悲劇』の時と同じ前近代的精神主義権威主義を、日本のスポーツ界は何時まで続ける心算なのだろうか。
10年前のシドニーオリンピックで日本の女子自由形第一人者である千葉すず選手のマスコミでの発言が気に入らなかった日本水連は代表選考会で選考基準をクリアして優勝したにもかかわらず日本代表に選ばなかった事件を思い出される不愉快な事件です。
それぞれの選手の言動を批判することは一向に構わない。
大いに批判はやるべきですが、しかし言動(品格や行儀作法)を理由にして競技に参加させないなどは、競技団体としての存在理由そのものを問われている。
競技団体とは、選手が試合で実力を発揮できるようにサポートすることが本来の役目ですよ。
ところが一番成績の良い朝青龍千葉すずでは試合に出ることを競技団体が阻止したのです。
今回も日本スキー連盟が国母選手の品格を理由に試合出場を妨害し、強制帰国(本国召還)させ様としていたのです。
こんな選手の試合参加を阻む競技団体は、そもそもの存在理由が有りません。
日本のためにも個々の選手の為にも即刻解散して組織に巣くう頑迷固陋なアナクロリズムの長老たちを追放して根本から改革するべきです。

『美や品格は個人の主観(内心)』

『美しい』とか『品格がある』とかには科学的な客観的基準が有るわけではなく主観の問題なので、自民党安倍晋三首相の『美しい国』が(客観的で有るはずの)政治的スローガンであるよりも宗教的な意味合いがあり、何とも奇怪で胡散臭い。
我々一般市民にとっては意味不明、理解不能なのですが、今回の国母選手の『見苦しい』(美しくない)『品格』といくらかは関連してくる。
あの格好は『プロ』のスノボ選手の国母和宏にとっては『服装の乱れ』どころか『正装』らしいのですよ。
個人によって美とか品格の基準が違い、他人と同じ格好をするほうがスノーボーダーにとっては『恥ずかしい行為である』に変化する。
これは東京オリンピックの時、他国の選手団に比べて最大人数の日本選手団がほかの国が誰も真似できない一糸乱れぬ分列行進をして(おまけに)しかもファシスト党ムッソリーニそっくりの片手を高々と挙げる敬礼(挨拶)をして外国人たちの顰蹙をかったことがあるが、あれと全く同じで基準となる『美』や『品格』(内心)が根本的に違う。
同じ完璧な分列行進を美しいと見るか恐ろしい(醜い)と見るかは、見られる側の問題以前に、『見る側の主観』(内心)の問題なのです。
外国人でなくとも、同じ日本人でも高校野球の甲子園の開会式の入場行進を、『美しい』と思う人が沢山いる。
ところが私のように正反対に神宮外苑の学徒動員の映像を思い出して不愉快で『見苦しい』と思う人もいる。
基準が其々違うから『個性』であり、『違うから悪い』にはならず、『違うことは良いこと』であり『存在理由が有る』とも考えられる。
イヤホーンで音楽を聴きながら演技するのが当たり前のスノーボードの世界で、しかも団体競技なら集団との調和は大事かもしれませんが個人競技の世界大会で勝つため秘訣は『誰にもない、その人独自の個性』や『創意工夫』であり、周りと違う『独創性』ですが、全日本スキー連盟(SAJ)や日本オリンピック委員会(JOC)は大相撲と同じ伝統芸能の様式美を追及する心算の様です。
個人の主観に過ぎない『品格』とか『美意識』とかが『普遍的な価値観』で有るとでも勘違いしているのでしょうか。

『主観、客観の意味するものは』

主観については、『何が美しいか。?』『何が品格となるか。?』などはそれぞれの個人個人や、個人の集合体としての集団により異なっており、個人の主観(内心)にすぎない。
美しさや品格に夫々違いが有り、その『違い』を尊重することが民主主義の基本で、今回の国母騒動や朝青龍騒動のような多数決原理だけなら民主主義ではなく全体主義ファシズム)になる。
何故なら個人の『内心』とは聖域であり、『何人たりとも犯されない権利が有る』とするのが民主主義の根幹である基本的人権の根本的な考え方です。
客観については、
我々一般の市民でも、政治や軍事、経済などでは自分(個人)が如何思うか(内心)など、観念的な問題はどれ程の意味もない。
この場合には、『事実は如何であるか』等の唯物的な問題だけが問題となる。
軍事では田母神のように(自分は)『如何解釈できるか』は何の意味も無いのですが、可哀想に彼には主観と客観の区別がついていないのです。
『軍事』では正しい現状認識が全てに優先されるのです。
正しい現実認識が出来なければ命が無くなるという意味では登山なんかもこれに当てはまる。
自分(あるいは他の誰か)が何を思うかではなく、『現実の事実は如何なっているのか』だけが意味がある問題も世の中には多くある。
政治、経済、軍事、外交、科学などはこれに当てはなるでしょう。
軍事や経済など政治問題では科学的事実から離れた内心の自由はそもそも存在しない。

マリーシア

旧軍の話ですが、彼等は悪いことでも戦闘(戦争)に利用できそうなことは何でも奨励していたのです。
勝負の結果(勝ち)だけに関心があり、それ以外(品格?)なんかは何の価値観も見いだしていなかった。
例えば軍隊内の泥棒は見つからなければ良い事として奨励されていて、厳しく罰せられたのは被害者の方だったのです。
しかし、周りの他の兵士から盗めばその結果がどうなるかが判っているので私の父は盗まなかった(自分の主義が邪魔して盗めなかった)。結果、毎度毎度凄まじい凄惨な制裁が行われることになる。
スポーツ用語のマリーシアとは、
元々はポルトガル語で『ずる賢さ』を表す単語で、主にサッカー界で使われるが意味するところは、『審判にバレない反則は反則とは呼ばない。それは高等技術と呼ぶ。』で、ネガティブな意味で使われることは少なく、一流選手の証が『如何にマリーシアを行えるか』なのですが、
今の日本のサッカーが日韓共催のワールドカップ以外には一勝も出来ない原因も多分マリーシアを行う技量がないからでしょう。
そして旧軍はマリーシアのオンパレードだったのです。
勝つためには何でも有りで許されるが、其の反対に正直に規則を守って負ければ厳しい制裁がまっている。
マリーシアの意味の『反則ぎりぎり』どころか、『反則そのもの』までも奨励していたのです。
軍隊内での銃剣術の稽古では敗者には理由のいかんを問わず苛酷な制裁が課せられる。
旧軍のこの体質を知り抜いていた私の父親は『はじめ』の号令がかかる前に攻撃して油断している(規則を守っている)相手に連戦連勝する。
何しろ亀田の弟ばりに銃剣術の規則にない投げ技や足技や拳闘など反則なら『何でも有り』。これを叱るどころか上官は『敢闘精神が有る』として褒め称えていた。
日本のやった戦争は日清戦争でも日露戦争でも対中戦争でも対米戦争でも全てが(マリーシア的な)宣戦布告前の奇襲攻撃で始まっています。

『勝敗を争う競技(スポーツ)の価値観は「強さ」以外にはない』

大相撲の横綱の品格など、元々横綱には品格が有るのではなく(強い横綱に対して)周りがみんなして『横綱の品格を認める』から『品格有る横綱』が生まれる。
JOCや日本水泳連盟や日本スキー連盟や日本相撲協会などの考えている『品格』と『強さ』の関係は完璧に間違っているのです。
物ごとの順番が逆なのです。
スノボに限らずオリンピックのような世界大会で優勝する為には『品格が有る』は邪魔にこそなれ、何の役にも立たないのは勝敗を争うスポーツの世界の常識なのです。
『品格が有る』の正反対の『マリーシアを行える者』が勝つ。
ですからJOCや日本スキー連盟は『勝つな』と言っているに等しい事になります。
そして勝者には『品格』(正義?)も同時に付いて来る構造になっている。
全ての競技スポーツの世界では『横綱の品格』とまったく同じで、JOCの考えとは逆に、勝った者(メダリスト)に(周りが認めるので)品格が生まれてくるのです。

『相手の嫌がることを積極的にするのが勝負師』

一般社会の品格(礼儀)とは異なり、『得意技を出させず』相手の弱点を攻めるのが勝負の世界の『品格』で、相手に合わせて『得意技を出させる様に協力する』のはスポーツとは言い難いプロレスなど見世物の世界である。
勝負の世界では、余程の実力差があり絶対に勝てる相手なら相手のやりたいようにやらせるが、普通は『相手の良さをいかに殺すか』に全力を尽くして努力するのです。
だから自分が勝てる。
昔まわしを取れば横綱大関といえども吊り出しで勝てる明武谷という角界一の長身力士がいたのですが、対戦相手は明武谷がまわしを取れば滅法強いことを良く知っているので突っ張りが得意でない力士までが明武谷相手の時は突っ張って離れて相撲を取る。
両まわしを明武谷にがっちり取られて勝てる力士はそれほどいなかったのです。
だから対戦力士は必ず突っ張ったし横綱大関でもやっぱり突っ張っていたが、相撲が面白かった時代の力士たちは今の朝青龍のように勝負に拘っていたのですよ。
だから相撲はスポーツであったのでしょう。
対戦相手の弱点を攻めずに、相手選手が庇う様では最早スポーツではなくなっている。
網膜剥離でスポーツ生命に危険があるのでライセンスを取り消されていた元チャンピオン辰吉丈一郎の顔面を狙って殴るのが本当の勝負師といえるでしょう。

『実力の世界ではマリーシアが勝敗を分ける』

勝敗を争うスポーツでは如何に規則違反で失格にならない程度の悪事を働くことが出来るかで勝ち負けや一流と二流が決まるのです。
対戦相手に下剤入りオレンジを贈るなどは判らなければ大成功。体格のない10000メートルの松野明美がマラソンに転向したかった理由は体格の良い外国人選手の走行妨害のマリーシアを嫌っての事で、わざと体をぶつけるなどはトラックレースではある意味当たり前の常識ごと。
スキーのノルデック競技で一位になるような選手はマーリーシアでも一流で、わざとストックで他の選手を妨害したりスキー板を踏む反則になる一歩手前の汚い事が出来る選手だけが一流といわれている。
意識的に汚い事(マリーシア)が出来ない選手は二流でコンスタントには勝てない。
将棋の世界で数々の記録を打ち立てた大山康晴は、もちろん実力でも他の追従を許さない抜きん出た超実力者だったが、対戦相手が煙草嫌いならわざと煙を顔に吹きかけたり寒がっていたら立ち上がって窓を開けるなど勝つためには小さな汚い事も怠らなかったが、まさに勝負師の鏡ですね。
スポーツ(競技)では負けたものには意味が無く、勝つことだけに意味がある。勝つものが正義なのです。
そして旧日本軍は誰よりも其の事実を良く知っていたが、敗戦から65年が平和に戦争無く経過して何時の間にか『勝てば官軍、負ければ賊軍』の厳しい掟、かっての日本人全員が知っていた『知識』(常識)は完全に失われてしまったのだろうか。?
本来は勝敗を争うスポーツの世界で、日本だけは正反対の『勝敗よりも品格重視』の世の中になっている様だが、何故このように日本人は『極端』から『極端』に走って仕舞うのだろうか。?
旧軍の常識は間違いで、たしかに短期戦では戦場の勝敗が絶対的な価値観だが、何年にもわたる長期の全面戦争では『戦争の大儀』(戦を行うための正義のスローガン)こそが勝敗を決定するの最大の要素であった。
ところが旧日本軍の徹底した『目の前の勝敗重視』の正反対の、現在の日本のスポーツ界の勝負事における『実力よりも品格重視』は競技(スポーツ)の根本原理(価値観)を無視した『スポーツの自己否定』に過ぎない愚行に他ならない。

英国王の悪口三昧だった品性下劣な250年前の米独立宣言

ミスディレクションMisdirection)崇高な「自由と平等」は付け足し

植民地時代から1776年独立宣言後、翌年1777年まで1年半も使われたアメリカの国旗は最悪の帝国主義(植民地主義)のイギリス東インド会社の社旗

250年前のイギリスは立憲君主制「君臨すれど統治せず」で60年間も続くジョージ三世時代。

当時のスペインやフランスロシアのような絶対君主制ではない(今の象徴天皇制の先駆けとなった政治に関与しない建前の)ジョージ3世イギリス国王の悪意ある誹謗と中傷に明け暮れた奇妙奇天烈摩訶不思議な怪文章が今では自由と平等、信教の自由を世界で初めて宣言したアメリカ独立宣言だったのである。

(★注、アメリカ独立宣言を全文読めば誰にでもわかる事実だが、何故か英国王に対する罵倒がメインであり、我々が学校の教科書で習った自由や平等云々は明らかに付け足しか何かのアリバイ作り、印象操作の辻褄合わせ程度の代物)

トランプさんのお陰で「風向き」が変わる

フランスとの7年戦争に勝利したイギリスが北米カナダを占領するが、フランス語話者(フランス人はカトリック)が多く住むケベック州統治に苦労した結果、1774年にカナダ地域ではカトリックに対する宗教弾圧を抑制する。

ところが、このイギリス政府の決定(カトリック信仰容認)に怒った(アメリカ本土に波及することを恐れた)元祖ファンダメンタルズ(キリスト教原理主義 現在の福音派)のアメリカ13州が米独立を行ったとの説がある。(★注、今回トランプさんのおかげで大きく風向きが変わり、本当は怖いワシントンやジェファーソンたちアメリカ建国の父たちの独立宣言に対するマスコミの今までのタブーが打ち破られる)

画像

250年前、1776年アメリカ独立宣言前後の1年半(1775年12月〜1777年6月)使われたアメリカの国旗(グランドユニオン旗)は、なんと麻薬と奴隷貿易で悪名高い帝国主義(最悪の植民地主義)のイギリス東インド会社旗と同一だった。

イギリス東インド会社の北米支社として出発したアメリカ合衆国  (2013/10/14 文化・歴史)

『不思議な国旗から見えてくるアメリカ合衆国のもう一つの姿』

記事上↑に掲げた不思議な旗は、1776年7月4日『アメリカ独立宣言』前後の1775年12月3日から1777年6月14日までの1年6ヶ月間使われたアメリカ合衆国旗(グランドユニオン旗)であるが、何と、イギリス東インド会社の社旗と同じだった。
唯一の違いは合衆国旗が左上カントン部分のユニオン・フラッグ(英国旗)がストライプ7本分(赤線4本白3本)でやや縦長で不恰好に見えるが、これは英国旗を何故か90度回転させて仕舞い、カントンの縦横の配置を逆にした為である
いかにもバランスが悪く不細工な記事上↑掲載の一番最初のアメリカ合衆国旗に対して、元となったイギリス東インド会社旗はカントンの大きさがストライプ6本分(赤線3本白3本)で、現在の星条旗(the Stars and Stripes)とまったく同じ配分になっている。

世界で最初、1600年に設立された勅許(国王が認可した)会社「イギリス東インド会社」の社旗

画像★注、英国によるアイルランド植民地化が完成した1801年からユニオンフラッグ(大英帝国の国旗)にはアイルランドの聖パトリック十字が加わっている

諸悪の根源として悪名高い(誰も知らない)イギリス東インド会社の社旗の不思議 

(イギリス東インド会社旗のカントン部分の英国旗は、1801年からはアイルランドのセント・パトリック・クロスが加わる現行のユニオンジャックに変わっているが、七つの海を象徴していると思われる社旗本体の白地に7本の赤い横線は最初から一貫して同じである)
ジョニー・デップ主演で大ヒットしたハリウッド映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』の敵役はイギリス東インド会社なのですが、不思議なことに何処にも社旗であるグランドユニオン旗が出てこない。
映画に出て来るのは大きなVに小さなoとcをあしらったイギリス東インド会社ロゴマークだけなのです。(しかもイギリスでは無く、オランダ東インド会社で「国名」が完璧に間違っている)
他愛の無い娯楽映画なのですから時代考証が間違っていても一向に構わないのですが、それ以外でも同じ扱いであるから面白い。
歴史教科書から世界のニュースまで、ありとあらゆる全ての公の映像の中では、不思議な事にイギリス東インド会社旗(グランドユニオン旗)が出て来ない。
もちろんイギリス東インド会社旗とそっくり瓜二つの初代アメリカ国旗の、不都合すぎる映像も公的な場所では出て来ないのである。
宗主国からの独立(植民地解放?)の美しい神話のアメリカ合衆国旗と、悪しき植民地主義の象徴的なイギリス東インド会社旗。
180度反する両者が、同一のグランドユニオン旗を使用していた歴史的事実は正義のアメリカとしてはイメージが悪すぎる。
不都合なアメリカの歴史を何とかして隠したい。誰にも知られたくないのである。

『超ウルトラ巨大な「関東軍」としてのイギリス東インド会社

1600年にイギリス東インド会社が勅許会社として設立される。
その2年後、世界最初の株式会社組織として1602年に設立されたのがオランダの東インド会社である。
設立当初のイギリス東インド会社は、遠征航海ごとに出資者を募り貿易や略奪で得た利益を配当として分配する方式だったので、最初に出資者を集めて成功報酬をプールして配当として配る株式会社方式のオランダ東インド会社よりも継続性や計画性で劣っていた。
株式方式のオランダの成功に刺激されてスウェーデン東インド会社 、デンマーク東インド会社 、フランス東インド会社などが次々と設立される。
貿易の独占権を認められ、17世紀から19世紀半ばにかけてアジア各地の植民地経営や交易に従事した。
イギリス東インド会社は貿易を独占しただけではなく植民地経営の全てを独占していて、イギリス本国以外の徴税や通貨発行、法律施行から独自の軍隊を保有して反乱鎮圧や他国との戦争を行うなど『国家』としての全ての機能を有していたのです。
例えるなら日本政府の不拡大方針に反して暴走して仕舞った挙句、自分勝手に張作霖爆殺や満州事変を引き起こして満州国を創った旧関東軍の超巨大な、国家の中の『国家』ともいえる株式会社なのである。
大成功した東インド会社は、巨大な文明圏だったインドの完全植民地化成功直後の1874年6月1日に突如解散している。

アメリ東インド艦隊所属だったペリーの黒船』

72年前の1941年12月8日、日本は米国のハルノート経済制裁を目前にして山本五十六連合艦隊が当時はアメリカの植民地だったハワイ諸島真珠湾に集結していたアメリカ太平洋艦隊を先制奇襲攻撃する大博打に打って出る。
日本軍がハワイの米軍を奇襲攻撃する88年前の1853年、アメリカのペリー提督は捕鯨船の補給や寄港地を求めて、4艘の黒船を率いて浦賀に来航して260年間鎖国していた日本に開国を要求。居丈高なアメリカの砲艦外交に対して、まったく予期していなかった外交力ゼロの無能な幕府は右往左往して時間稼ぎしか出来なかった。翌年に9艘で再度来航したペーリー艦隊に対して日米和親条約を締結して開国した、とするのが今の通常の教科書的な歴史認識なのです。
ところが、日本に開国を要求した黒船(ペリー艦隊)の名称は太平洋艦隊ではなかった。
実は、黒船がアメリ東インド艦隊だった事実は些細な事として、日本国ではそれほど注目されていないが、多分これが一番重要な隠された真実を含んでいるのである。
アメリカの黒船来航を今までの通常の歴史で見ると真実が分からないが、『ペリーの黒船来航』の言葉を、『米東インド艦隊の来航』と置き換えるだけで、美しい正のイメージが恐ろしい不のイメージに変化するのである。

『明治政府による印象操作』

そもそも当時の日本(幕府)は鎖国をしていなかった。(「鎖国」が一般に普及する時期は明治時代以降である)
アメリカのペリーが要求したと言う捕鯨船の補給であるが、1840年に欧米列強に武力制裁の口実を与えない為に幕府は天保薪炭補給令を出している。
イギリスとのアヘン戦争に破れた中国が屈辱的な半植民地化政策である南京条約を1940年に無理やり結ばされた不穏な世界情勢に敏感に反応して、江戸幕府が即座に対応しているのであるから驚きだ。
それなら表向きのペリー来航のアメリカ政府の目的は、幕府によって13年も前に実現していたのである。
文明国アメリカと未開で野蛮な日本との『未知との遭遇』は後世の作り話である。
日本は友好国だったオランダを通じてほぼタイムラグ無しに世界情勢に通じていた。
ペリーの東インド艦隊の来航は、幕府にとって何年も前からの知り尽くした懸案事項だったのである。
そもそも我が日本国は大昔から奴隷制や麻薬を禁止していたが、当時のアメリカは公然と人間を市場で競りにかけて売りさばく極悪非道な奴隷制の国家であった。
イギリスが麻薬を禁止したのは第一次世界大戦末期の1917年の話で、それ以前ではアヘン等の麻薬の吸引などは野放し状態で一般市民とか子供でも鎮痛剤として使用していたのある。
日本が列強に軍事力で劣っていたのは事実であるが、道徳とか人道的に見れば欧米の方が余程野蛮で未開だった。

『摩訶不思議な、現在のアメリカ政府の組織形態』

日本で一番実力があると思われる保守政治家、元自民党幹事長で民主党代表だった小沢一郎が首相目前でゼネコンの西松建設からの闇献金疑惑で失脚してほぼ政治生命を失ったが、小沢疑惑などはアメリカでは絶対に起きない種類の話である。
何故アメリカでは日本では続発する小沢疑惑が起きないのか。
理由は簡単で、日本では財界と政界とは別々であるので闇献金が生まれるが、アメリカは政界と財界が最初から一心同体。
献金するも何も、同一人物なのですから最初からまったく必要性が無いのである。
マイケル・ムーアの『アホでマヌケなアメリカ白人』と言う過激な題の本で、アメリカのブッシュ政権の閣僚たちを紹介しているが、財界と関係の深い人たちなどと言うものではない。
財界人そのものなのです。
副大統領ディック・チェイニーは、政権に入る前は石油会社大手ハリバートン社のCEO(最高経営責任者)、財務長官ニール・オニールは、入閣前は世界最大のアルミ会社アルコアの会長、農務長官アン・べェネマンは、遺伝子組み換え食品の会社カルジーンの役員、商務長官ドン・エバンスは石油・ガスのトム・ブラウン社の会長兼CED、国防長官ドナルド・ラムズフェエルドはGDサール製薬会社とジェネラル・インストルメント社のCEOだった。
何のことは無い。財界が内閣を組織しているのである。

『株式会社としてのアメリカ合衆国

現在のアメリカ政府を日本に例えるなら、政権トップの安倍晋三首相だけは有権者間接選挙で選ぶ。ところが他の閣僚は全員が選挙とは無関係に首相指名で自由に選ばれる。
経団連の米倉会長が副首相で京セラの稲盛和夫ユニクロ柳井正オリックス宮内義彦楽天三木谷浩史が有力閣僚として政府を牛耳って、やりたい放題好き勝手にしているのである。
政治が財界に乗っ取られているのも同じで、これなら財界が政治家に陳情するなんて手間も省けるし、請託を受ける必要が無いから汚職も無い。
アメリカの不思議ですが資本主義の効率優先の極まった形と見るよりも、昔はイギリス東インド会社の北米支社だった、『株式会社アメリカ合衆国』と考えると実に分かり易い。
権威とか名誉(世間体とか見かけ、評判)を重んじる『国家』とは大きく違い、営利組織である株式会社が追及するのは露骨に利益と効率(株主への配当)である。
アメリカ合衆国が近代文明国家としては例外的に、最後まで恥ずべき奴隷制を行った摩訶不思議な謎も、『国家』としてではなくて利益と効率優先の『株式会社』(東インド会社アメリカ本店)だったからと解釈すれば、誰にでも簡単に理解出来る。
世界に例が無い100%民間が所有するドルの発券銀行であるFRB(連邦準備理事会)とか、前代未聞の公的医療保険に反対するアメリカの連邦議員など、今までの数々の不思議も簡単に解消する。
単にアメリカ合衆国が『国家』ではなく『株式会社』だったから何よりも利益が最優先されるので、不思議でもなんでもなく当然の結果なのである。

『中国抜きには語れないベリー来航(アメリ東インド艦隊)と日本』

日本史教科書の説明である、1853年のアメリカのペリー提督は捕鯨船の補給や寄港地、日本との交易を求めたとの記述は、捕鯨船の補給の部分は1840年に幕府から出された天保薪炭補給令によって意味を為さない。
アメリカが軍艦の大艦隊を送るまでもなかったのである。
それなら貿易相手としての日本との交易目的が残るのですが、それも疑わしい。
1854年に九艘の大艦隊で再度来航したペリーは念願の日米和親条約を結ぶが、日米通商条約の交渉役として伊豆下田に派遣されたのは2年も経った1856年(安政3年)である。人数は初代駐日領事のタウンゼント・ハリスと通訳のヒュースケンのたった二人だけだった。
ハリスは教育者としては有能だったかもしれないが外交官としては素人同然で軍人としての経歴も無い人物だった。(日本到着の4ヶ月前にシャムとの通商条約締結でハリスはバンコクを訪問)
イギリスがやり手のベテラン外交官オールコックを日本に送ったのとは対照的なのである。
しかもハリスの秘書兼通訳を務めていたヘンリー・ヒュースケンは1861年(万延1年)に尊皇攘夷派浪士に襲われ殺されているのに、アメリカは海兵隊員の護衛など一切行っていない。(悪く勘ぐればハリスは対日開戦目的での捨て駒扱いの一民間人)
当時のアメリカが本気で日本との通商条約を急いでいたとは到底思えないのである。
アメリカは公職経験が一度も無い素人外交官のハリスを本国から派遣したのはなかった。何と中国からなのです。
今でもペリー艦隊の旗艦サスケハナ号の姿が東京のアメリカ大使館に飾られていると言うが、1853年の米東インド艦隊が来たのも本国アメリカからではなく中国からだった。
もちろん浦賀来航後にアメリカの東インド艦隊が向かった先も、やっぱり中国の上海だったのである。
今までのフィリッピン経由ではなく日本と言う便利な中継地を得ることで、中国の上海とニューヨークを世界最短の25日間で結ぶシーレーンの確保が出来れば、アメリカはイギリスやフランスなど競争相手(商売敵)の欧州諸国より俄然有利な立場に立つことができる。
19世紀当時のアメリカのペリーの黒船が、『太平洋艦隊』ではなくて『東インド艦隊』と名乗ったのは不思議ではなくて、歴史的にも現実問題としても当然だったのです。

アメリカ革命の謎(半沢直樹的な100倍返しか)』

フランス革命(1789年)の13年前の1776年がアメリカ革命(いわゆる独立宣言)の年である。
イギリス本国と、アメリカ東部沿岸のイギリス領の13の植民地との戦争であるアメリカ独立戦争(1775年~1783年)は、アメリカ側の正式な呼称はthe Revolutionary War(革命戦争)である。
何故か、肝心の米国国内では1776年は『アメリカ独立』の名称ではなくてThe American Revolution(アメリカ革命)と呼ばれているのです。
1776年7月4日の『アメリカ独立宣言』(The Declaration of Independence)以外、アメリカでは全て『独立』ではなく、一貫して『革命』の名称を使っているのですから不思議である。
摩訶不思議なこの謎解きは『イギリス東インド会社』のピースを加えるだけで、全ての疑問や不思議が簡単に解明出来る。
前提の『イギリス本国と、イギリス領のアメリカ東部沿岸の13の植民地の戦争』が、そもそも間違いだった。
今の歴史教科書をうっかり読むとアメリカ東部沿岸はイギリスの直轄植民地であったかに描かれているが、実は植民地経営はイギリス東インド会社の独占事業であり、13植民地も例外では無い。
アメリカがイギリスから独立するきっかけとなった1773年12月のボストン・ティー パーティー事件の主役の『お茶』はイギリス東インド会社のもの。
植民地(アメリカ)の徴税権は本国イギリス政府には無くて、イギリス東インド会社が独占的に握っていたのである。
東インド会社ロンドン本店(上司)の横暴に対する、アメリカ13支店(部下)の反乱なので『独立』ではなくて、上下関係が逆転する『革命』の名称が使われたのでしょう。
イギリス東インド会社内の『下克上』である。
ドラマ半沢直樹的な100倍返し(革命)だったのである。

『丸ごと擬装されたアメリカの歴史』

日本の関東軍が1932年に創った人造国家満州国の国旗は、アメリカの星条旗の精神でデザインされたと言われるが、関東軍満州国は麻薬とは切っても切れない深い関係がある。
野蛮で非人道的な奴隷貿易を非合法化したイギリスの後を引き継いだのはアメリカ合衆国だった。
麻薬貿易でも中国に持ち込んだアヘンの4割以上がアメリカ船であった。
昔のアメリカは奴隷商人であるばかりか麻薬の売人だったが、イギリス東インド会社アメリカ独立支店と考えれば何の不思議もない。
イギリス東インド会社からの独立なのに、公的なアメリカ史に『イギリス東インド会社』の文字が1回も出てこないのも、逆に考えれば当然だった。
徹底的に消したのである。
独立したアメリカ合衆国政府が当初イギリス東インド会社旗を、そのまま自分たちの国旗にしていたのは当然であった。
逆に東インド会社旗以外の、他の旗を選ぶ方が有り得ない話である。
アメリカ国旗のカントン部分の英国旗を90度回転させて元々のイギリス東インド会社旗と微妙に違いを出したのも当然だった。
原因が分かれば答えは簡単で、それ以外の選択肢は最初から無かった。
アメリカ史を丸ごと擬装した』以外、何の不思議もなかったのである。

『例外が一つも無い、徹底しているアメリカ流の歴史修正主義

アメリカ製のハリウッド映画に出てくるイギリス東インド会社のマークが、『大きなVに小さなoとcをあしらった旗』である。
ところが、英語の東インド会社ならEast India Company(EIC)なので絶対に頭文字はVOCにはならない。
表している『国』(ロゴマーク)が丸っきり違っていて、オランダ東インド会社オランダ語(Vereenigde Oostindische Compagnie)の略称VOCをロゴにしたものだった。
ちなみにオランダ語 のVereenigdeは連合Oostindischeは東インド Compagnieは会社で、頭文字がVOC、ハリウッド映画ですが、何とも不思議であり政治的に偏向したインチキ。
そもそも『東インド』の意味ですが、インダス川の東の意味。コロンブスアメリカの東側の諸島を西インド諸島と間違って命名したこととも関連している。
インドや東アジアとの交易を目的に東インド会社を1600年にイギリスで作られた。
その二年後にオランダもイギリスに続き東インド会社を世界で初めての株式会社として設立し、少し遅れてアメリカ大陸用に西インド会社を1621年に設立。北米に進出。イギリスの東インド会社とオランダの西インド会社が植民地争奪戦を繰り返すが、最終的にはイギリスが勝利してオランダやフランスを駆逐して、メキシコ以北のアメリカを全部イギリス領にする。
アメリカ利権の独占を狙ってイギリス東インド会社の北米支社がイギリス東インド会社のイギリス本社に攻撃を仕掛けたのが240年前のアメリカ独立だった。
何やら規模が違うだけで、少し前にあったどろどろの醜い兄弟や親子の親族間の利権争いそっくり。日本の大塚家具や、ロッテの日本本社と韓国支社の争いと同じ構造だからアメリカでは植民地解放の『独立』とは呼ばず、『アメリカ革命』と呼んでいるのでしょう。





麻生太郎自民党副総裁の天皇簒奪劇(宮廷内クーデター)皇室典範改正案

(私利私欲で暴走する)麻生氏の思い、誰ぞ知る=伊藤智永

 

 約600年前の室町時代に天皇家から分かれた旧宮家出身の男性というだけで、昨日まで民間人として暮らしていた人を、養子縁組で「にわか皇族」に仕立てようというまこと奇っ怪な皇室典範改正が、7月17日会期末の今国会で実現するかもしれない。

一説に15歳以上というから今、高校生かもしれない。真剣に交際している一般人の彼女(属性不問)がいて、いずれ二人の意思で結婚したら、やはり皇族になる。二人の子が男なら、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」たる天皇の有資格者らしい。

 

 残り773文字(全文1015文字)

毎日新聞の有料記事だが、昭和史の泰斗伊藤智永による渾身のあっと驚く世紀の大事件(麻生家による天皇制簒奪の宮廷内クーデターもどき)の告発記事。とんでもなく大事な記事なので大部分を文字起こし(一部修正)すると

 

いくら想像しても現実離れした法改正の旗を、自民党の麻生太郎副総裁が遮二無二振り回している姿が、もっと釈然としない。

月刊誌「文芸春秋」7月号の座談会で、政治学者の御厨貴氏が、麻生の振る舞いが不信を抱かせる核心をズバリと突いた。

 

麻生太郎の実妹が長く別居している(アルコール中毒の「髭の殿下」男系DNA発言で有名)三笠宮智仁(ともひと)妃の信子(71歳)である。ところが、去年9月三笠宮家を離れ、新宮家を創設し当主に就任していた。

国民には寝耳に水。

(長い皇室の歴史でも高齢の寡婦による新宮家創設は前代未聞、珍事中の大珍事)異例の処置で、理由や経緯の制裁は分からないが「新宮家に養子が取られたら麻生が天皇の外戚になり、平安時代の藤原氏のようになる。政治的権力者と天皇の権威との距離がぐっと近くになって、皇族の政治的中立性が揺らぐ可能性もある」(政治学者の御厨貴の解説)

 

 

 

なぜ「愛子天皇」を恐れるのか…"キングメーカー"麻生太郎氏が男系男子にこだわり続ける納得の理由政界と宮中を握る「麻生一族」華麗なる宿縁

 

 

 

 

奇妙な疑似共同体「絆社会」ガラパゴス日本の「証拠隠し」隠しを制度的に行う「優良証拠制」(最良証拠主義)

 

 
公費を使って捜査段階で集まった膨大な証拠や証言類は本来なら公共財(全国民の財産)であるが、警察検察が自由に使える私物扱いなのである。
 
巨大なガラパゴス島奇妙な疑似共同体「絆社会」のわが日本国は世界基準とか民主主義では当然の、警察など公権力による)捜査時点で集まった全証拠の開示を行わない。(★注、現在でも刑事訴訟法には「全証拠類の開示」との記述があるが罰則がない努力義務程度の意味なので、だれ一人守るものがない絵に描いた餅)
無罪の心象の証拠類を故意に隠し、有罪証拠だけに限定して開示するので我が日本国の刑事裁判は99.9%必ず有罪になる。(★注、半世紀前の1966年の静岡県の1家4人殺人放火「袴田」事件だけではなく最近でも2020年神奈川県の公安警察がでっち上げた細菌兵器製造疑惑「大河原化工機事件」では確実な有罪証拠が無かったので偽造まで行う警察検察の腐敗堕落極まれり)
 
刑事事件の有罪率99.9%(無罪率0.1%)対して再審請求可決(冤罪の疑い濃厚)は0.2%
 
再審請求は年間200件程度と分母が大きく違うが世界一安全な我が日本国は刑事事件(年間10万件弱)の二倍もの「広き門」???なのである。
それなら自民党から共産党なと与野党政治家マスコミ有識者も全員が口を揃えて主張する再審請求時の検察側の抗告の禁止云々ではなくて地裁や高裁などで極めて稀な検察側敗訴「無罪判決」での検察側の上級審への控訴の原則禁止こそが本筋であろう。(★注。アメリカの陪審裁判で無罪が出た場合には検察側に控訴権がない。日本の刑事裁判のように検察警察が有罪証拠しか出さないので、99.9%有罪になる「優良証拠性」最良証拠主義の無罪判決なら自動的に検察が控訴を自粛するべきである。基本的に今のマスコミの報道姿勢がインチキ。胡散臭すぎるのである)
 
すべての刑事事件で全証拠類の開示を訴える袴田元死刑囚90歳の姉の袴田秀子さん93歳
 
元プロボクサー袴田巌さんが静岡県の一家4人殺害放火事件発生1年後に逮捕されたのが60年前の1966年。
捜査段階での取り調べ室での拷問まがいの厳しい扱いに耐え兼ね無理やり自供させられたと無罪を主張するも1968年に静岡地裁で死刑判決を受ける。
1976年には最高裁で死刑が確定。
しかし1981年の再審請求で2014年に検察側がようやく開示したのが有名な「犯行時に被害者の血が付いた衣服を1年後に味噌タンクで発見した」(検察警察が隠し持っていた)カラー写真で、2023年の再審開始と2024年の無罪確定の決定的な物証となる。
そもそも半世紀前の静岡地裁の刑事裁判開始では「捜査段階での自白だけで」有力証拠がゼロなので日本国憲法38条で自動的に無罪しか出てこないのである。
それをひっくり返した警察のウルトラCの超絶裏ワザが「事件発生から1年後に見つかった鮮明な赤い血痕が付いた衣服」(決定的証拠の偽造)だったのである。
 
★注、
警察検察側が半世紀も秘密にして、隠し持っていた鮮明な血痕を映した(低能の下手人が検察か警察かは不明だが、明らかな偽造証拠の)カラー写真を、⇒実は半世紀前の時点で静岡地裁に提出していれば、いくら裁判所の裁判官が目が節穴で頭が空っぽの低能ぼんくらでも少しは疑問に思うし、ましてや死刑判決など出せるわけがないのである。辻褄があっているようで少しも辻褄が合わないのである。
 
その理由は簡単明瞭で、すべてはマスコミ有識者や与野党政治家が主張する「再審請求」云々の話ではなくて全ては奇妙な疑似共同体「絆社会」ガラパゴス日本の優良証拠制「最良証拠主義」に由来していた。(しかし我が日本国だけの優良証拠制(最良証拠主義)の奇習を、「赤信号みんなで渡れば怖くない」と挙国一致の大政翼賛会で必死で隠すから辻褄が合わなくなる。
 
再審法 国民的議論を 小川秀世・弁護団事務局長に聞く 袴田さん ...小川秀世弁護士(袴田事件主任弁護人)73歳 出典:中日新聞
 
1984年弁護士登録すると同時に日弁連袴田事件再審弁護団に加わり、現在は弁護団事務局長として辣腕を振るう小川秀世弁護士は、
「検察官はすべての証拠を見て、自分たちに有利な証拠だけで起訴している。」と述べ、証拠開示の範囲を限定する政府案について「すべての証拠を開示しない限りは、検察官が公正にやっているかどうかは分からない。」
また無罪判決確定で冤罪が明らかになった後、自身がかかわった国家賠償請求訴訟では、「見たこともない証拠が次から次に出てくる。被告人と弁護側にだけ(証拠の閲覧で)規制がある。本当に不公平だ」と怒りをあらわにしました。
 
袴田巌元死刑囚の姉の袴田秀子さん93歳

 

 

 

 

 

 

 

情報技術の進歩で思考消滅(ディストピア小説「1984年」と同じ社会)

2022年7・8「消えた弾丸」安倍殺しのように、1963年11月22日に衆人環視のな中で暗殺(公開処刑?)されたジョン・F・ケネディ第35代アメリカ大統領

ジョンソン大統領による76年間(2039年まで)の情報凍結

JFK暗殺で副大統領から昇格したリンドン・B・ジョンソン大統領は、ウォーレン委員会を設置し(CIAの下級工作員の捨て駒)元海兵隊のオズワルドのよる単独犯行だったと断定、「無実の人々の人権を保護するため」と声明を発表してケネディ暗殺に関する資料を機密情報として関係者が全員死に絶える2039年まで非公開による。

(★注、大事な外交機密でも30年で公開するアメリカで、76年間もの度外れた長期間の情報凍結「国家機密指定」とは、単純な刑事事件ではなくCIAやFBI・米軍など国家ぐるみの謀殺だったとの何よりの証拠)

1979年米下院暗殺調査特別委員会(HSCA)は1964年のウォーレン委員会報告書「リー・ハーヴェイ・オズワルド単独犯行」説を真っ向から否定し、「陰謀があった可能性が高い」と結論づけるが、残念ながら陰謀主体のCIAなど具体的な特定には至らなかった。HSCA報告を受け、1992年にJFK暗殺記録収集法(通称JFK記録法)が成立(パパブッシュが署名)し、暗殺関連の政府記録を25年以内(2017年まで)に原則公開することが義務付けられた。

ところが2017年の第一次トランプ大統領が極悪戦争やの米民主党やリベラルメディアの胡散臭いロシアゲートの弾劾騒動やCIAやFBIの徹底抗戦に腰砕け。現在に至っている。

それなら今回、長谷川真理子が言うように後13年後2039年(最初の76年間ものジョンソン大統領の機密解除期限)まで待つ必要がありそうである。

 

時代の風

2026/5/17

情報社社会の進展

思考消滅社会の結末は

 

今の世の中は、多くの年寄りにとって、心地よいものではない。だから、私の知りあいの中で、もっと長生きしたいと望む人はそれほど多くはない。が、ある人は、もっと長生きしたいと言っていた。いつまでかと言うと、ケネディ暗殺をめぐるアメリカの公文書がすべて公開されるまで。あの事件の真相を知らずして死ぬことはできないらしい。

 私もそれほど長生きしたくはないのだが、幽霊か何かになって、この先の地球と人類の行く末を見届けたい、という気持ちはある。実際にこの世界に生きていない、遠い未来になったとしても、成り行きを見届けたいと思うのだ。

せめてジョンソン大統領の76年後2039年の日付でも書けばよいのに

何も知らない頭が空っぽで目が節穴のネトウヨとは大違い、高偏差値の「知的エリート」(エスタブリッシュメント)である長谷川眞理子は「知っている」し何とかして我々一般市民に「隠された真実を知らせたい」とも思っているのである。

ただし自分が一番可愛い、叩かれるのを死ぬほど恐れているヘタレなので、バッシングされないよう(誰にも分からない様)巧妙で曖昧な表現に徹しているので、読んでもやっぱり誰にも分からない。残念。